総社神社

前橋市元総社町1-31-45 (平成23年5月28日)

東経139度2分27.84秒、北緯36度23分5.54秒に鎮座。

この神社は、関越自動車道・前橋ICの北東1.5km程の辺り元総社町に鎮座しております。地図を見るとすぐ北には総社町もありますが、何故かそこには無く、ここ元総社町にあります。

嘗てこの地には総社藩があり、藩主は秋元氏。秋元長朝は関ヶ原の合戦の直後、総社一万石に封ぜられ、それまでJR新前橋駅の北方にあった城を、現在の総社に移し、中心となる城下町を築いた。それで、以前城があった地域は「元総社」と呼ばれるようになったようです。

律令制の終焉を迎えようとする平安末期に創建されたようです。総社と言っても必ず大神社と言う訳では勿論ありませんが、ここはとても立派な神社です。良く一千年の永きにわたり護られてきたものです。

上野国総社神社略記
古代律令制下、国司は任国内の神社にて領幣したが、この神名を読み上げることから発し国司政治の衰退とともにその諸神の勧請とかわり国内の諸神を国府近くの一か所に合祀し総社とした。平安時代末期の創建と考えられる。
上野国十四郡諸社五百四十九柱の神々を迎祀(合祀?)しやがてその神名帳一巻がご神体となった。
本殿は慶長年間(十七世紀はじめ)の造営であるが桃山時代の様式を残し、昭和三十八年に群馬県指定の重要文化財となり保護されている。拝殿は天保十四年(1843)に再建された豪華な建造物である。なお総社神社のご宝物文化財としは御神体である上野国神名帳をはじめ子持勾玉、神鏡雲版・天正十四年丙戌二月一日銘、銅製円盤弥勒坐像の懸仏・天正十三年六月二日附、垪伯耆守の奉書した北条氏康の掟書・天正十八年五月附、前田筑前守利家、浅野弾正少弼浅野長政の禁制等が蔵されている。
境内由緒書 より

総社神社公式サイトによる由緒はこちら。

参道入口に立つ一の鳥居

参道

二の鳥居

境内

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和12年(1937)12月13日建立)
燈籠上の狛犬。小ぶりですがなかなかの出来映え。拡大写真はこちら。
(年代不明)

社額

向拝下の彫刻。彫刻の拡大写真はこちら。

本殿

太々神楽

末社

三峰神社

道祖神

御神木

雨だれ石

宝塔