日枝神社

前橋市山王町14-2 (令和元年5月3日)

東経139度07分17.57秒、北緯36度20分51.95秒に鎮座。

この神社は、JR両毛線・駒形駅の東1.7km程の辺り、山王町の街中に鎮座しております。

御祭神 大山咋命

由緒
貞観2年(清和天皇の御宇858年)嵯峨天皇の皇子、二品親王忠長郷が上野国大守に任ぜられたのを祝して9ヶ村の郡民相議り、社殿を造り近江国に鎮座の日吉山王大権現を遷祀して産土の神と仰ぎ安心立命と天下泰平五穀豊穣を祈ったのが本神社の興りである。
当時この社地周囲の稲の収穫凡そ二百万把を山王と称し貞観7年(865年)阿部真行が上野介に任命されて水田数町歩を献じて神田としたと言われ現に神田の小字名を残している。
文治2年(1186年)足立盛長が参詣して鰐口一ヶを奉献し建久7年(1196年)には源頼朝が参詣して三百余町歩を寄進、国家安全の祈祷をしたと言われる。その後は応仁の乱に当地も戦場と化し天文年中(1532〜1554)に至って兵火に罹って社殿僧房旧記の殆どを焼失したが永禄年間(1558〜1569)に漸く社殿を再造して僅かに旧態を保った。現存の本殿は実にこの時の建築である。
近世に下っては慶安2年(1649年)徳川家光は朱印を以って神田54石を献じ又歴代の前橋藩主は祭祀料を献じ度々社殿、玉垣等の修復を行った。
近代に至っては明治元年(1868年)神佛分離の令によって社僧、別当は廃止され神田は国へ返還し国家の管理の下に置かれ社名も村社日枝神社と改称された。
明治42年(1909)国の方針により神社の合祀が行われ当時の佐波郡上陽村大字中内鎮座村社稲荷神社、仝村大字東善鎮座無格社菅原神社、仝村大字西善鎮座村社稲荷神社並びに無格社菅原神社、神明神社及びその境内社を当神社の境内神社として移転合祀した。
昭和21年(1946)11月3日、日本国憲法の公布により神社は国家の管理を離れ宗教法人として発足し現在に至る。
境内由緒書き より。

神社入口

境内

拝殿

神額

本殿

本殿後


石祠