常将神社

北群馬郡榛東村山子田2527(平成22年7月10日)

東経138度58分44.24秒、北緯36度26分22.06秒に鎮座。

 この神社は午王頭川南に鎮座しています。社地入口の石段左右には石垣の上にブロック塀が作られ、台輪鳥居を潜ると左に神楽殿、右に社務所、その左側に棟続きで吾妻社が祀られています。明るい境内の正面には、やはり石垣の上に拝殿、本殿鞘堂が建立され、拝殿には珍しい緑色の注連縄が架けられています。又、周囲の鎮守の杜手前には天満宮、琴平神社などの末社が多数祀られています。
 豊かな森と、明るく綺麗に整備された境内、社殿など、気持ちの良い参拝の出来る神社でした。

 御祭神:平常将
 祭礼日:4月21日、10月9日現在は4月・10月の中旬日曜日
 境内社:吾妻社、天満宮、琴平神社など多数
 由緒:神道集(14世紀)に起源をもち、「船尾記」によれば、常将は承暦3年(1079)良い子に恵まれるのを願って船尾の観音様に籠り大願成就し、立派なお子が授かりました。その後、その子相満と天狗の拘り、船尾山の焼亡等の出来事があり、船尾山・柳沢寺の再興にも深い係わりを以て常将主従をまつり、「常将宮」と称し小字神田の地にまつられていた。
 元禄年間(16世紀末)に山子田村をあげて現在地に新社殿を造営し、元禄14年(1701)完成遷座した。本宮の地に今も碑がある。以来300年経る…。
 享保17年10月2日 正一位常将宮の宣旨を受ける。
 天保15年拝殿を再建した旨の棟札がある。

村指定文化財・常将神社太々神楽部
  常将神社の太々神楽は明治時代に一度消滅した。現在の太々神楽は、大正15年に広馬場聖宮神社から伝承し再興したものである。舞の数は36座あったが近年舞っているのは12座程である。

「常将神社由緒沿革」拡大写真はこちらで

社頭
神社入口
入り口に立つ台輪鳥居 社号標
「村社常将神社」
境内の様子
拝殿
拝殿に掛かる注連縄
本殿鞘堂
末社 末社
境内社:吾妻社 境内社:天満宮
末社 琴平神社
末社 末社
社殿後ろの鎮守の杜の様子
神楽殿