大宮神社

北群馬郡榛東村長岡481(平成22年7月10日)

東経138度59分08.01秒、北緯36度26分48.03秒に鎮座。

 この神社は吉岡川南に鎮座しています。石垣が組まれた境内入口には社号標や鳥居は立っていますが、生け垣が植えられ玉垣などはなく、親しみやすい感じに見えます。境内右手に社務所、左手に榛東村長岡集会所が建てられ、中央は明るく開け、その奥に又低い石垣が組まれ社殿が建立されています。社殿前には狛犬の少ない群馬県では貴重な存在の大正14年生まれの痩せて犬っぽい狛犬がいて、私達を喜ばせてくれました。又、境内周囲には沢山の末社が祀られています。

 御祭神:小長谷若雀命、合祀神:宇迦之御魂神、菅原道真公、大物主命
 祭礼日:4月15日、10月9日
 境内社:14社
 由緒:欽明天皇の3年(541)2月8日創建と伝えられている。この年に武列天皇を祀っていたという説がある。
 こうした伝えが何時作られたかわからないが、とにかく古くから神社の伝えを創造したものであろう。当、大宮神社の名から小字名大宮が生まれたであろう。雲井坂、西帝、勅使街道、大内冠街道等の地名が呼ばれ、これから御諸別王の子、賀袁真稚(かおのまわか)命が上毛野氏の一族有馬公の先祖で、この大宮神社を祭り、こうした祖先神を祭ったのではないかというのが神社の由来として考えられる。
 また、武列天皇がこの里に行幸された時、その臣である大伴金村の一族、大伴森多が勧請したとも言われている。この森多が吉岡、山子田、長岡に多い「森田氏」の祖先であり、この地に住み着き神社を奉祭してきたのだという。
 江戸時代も後半になり、こうした神社の伝承をまとめる意識が生じ、明治40年無格社の稲荷神社も合併した。境内末社は14社で、この内菅原社、稲荷社は明治40年に本社に合併した。
 嘉祥年間(9世紀中ごろ)に兵火があり、社殿を焼失した、その社殿が大伴広好造立と伝えられている。棟札に貞享4年(1687)修理とあり、寛政4年(1792)新築をある。箕輪城主・内藤修理介昌豊(武田信玄の家臣)を初め、代々の領主の信仰が厚かったという。
 なお、天正2年(1585)に大宮神社山林地に関白秀吉花押の安堵状が与えられている。
 神社境内には以前は杉の老樹がうっそうと茂っていて昼なお暗い場所であったが、戦後伐採して桜を植栽した。

 村指定文化財・大宮神社獅子舞
 昔、桃井郷十三カ村の総鎮守であったと伝えられている。大宮神社に奉仕の獅子舞で、創設は中世とも考えられるが、寛永10年ともいわれている。獅子頭は左甚五郎の作、との伝承があり、室町時代の匂いを感じさせる優れたものである。鹿島流とも伝えられる気品の高い舞として定評がある。構成は、近郷のものと同じ一人立ち、三頭の連舞形式でカンカチ、前獅子(男獅子)、中獅子(女獅子)、後獅子(男獅子)、猿田彦、歌掛り二名、笛方十八名、警固多数となっている。
(サイト「榛東村の歴史と文化財」より)

社頭
入口に立つ台輪鳥居 社号標
「村社大宮神社」
境内の様子
上の境内入口
拝殿前、大正14年生まれの狛犬
一応尾流ですが、やせ気味で、本当の犬に近い顔つきの、やや惚けた感じの狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(大正14年(1925)10月吉祥日建立)
千鳥破風、唐破風付き、入母屋造りの拝殿
彫刻拡大写真はこちらで
本殿鞘堂
末社 末社
末社 青祖神社
末社 御嶽山蔵王大権現
末社 古峯神社
末社 末社
末社 末社
末社、愛宕大神 末社、金毘羅大権現
末社、稲荷五福神 末社
末社、聖徳太子碑