北群馬郡榛東村新井674(平成22年7月10日)
東経138度58分37.64秒、北緯36度25分59.15秒に鎮座。
この神社は榛東村役場の東南東約600mに鎮座しています。北には八幡川が流れ、南には八幡池が満々と水を湛え、杜が大きな豊かな自然環境の中にあり、神域に相応しい神寂びた佇まいの神社でした。
社号標の立つ入口は杉林の南にあり、明神鳥居を潜り灯籠を過ぎると、参道は杉の大樹の中を真っ直ぐに西に向かい、下の境内へと向かいます。下の境内は広々と明るく、右側に社務所が建ち、一段上の中の境内は狛犬や遊具などが置かれて、親しみやすい雰囲気です。一番奥の上の境内には入母屋造りの拝殿、流造りの本殿、境内社、末社などが建立されています。
南に見える静かな水面の八幡池にはコイ、ヘラブナ、マブナなどが生息し、又、ホタルの人口飼育が行われ、6月になるとゲンジホタル、7月ごろにはヘイケホタルが飛翔するのが見られるそうです。
御祭神:品陀和気命
祭礼日:4月15日、10月9日
境内社:多数
由緒:嘉禄2年(1226)に桃井遠江守義胤が相模国鎌倉八幡宮を勧請し、祭神 品陀和気命(応神天皇)を奉崇し、上野国桃井八幡神社として創建された。当時は、桃井荘の中心であり、荘司として桃井氏が勢力盛んであった。桃井氏は、義胤の孫の桃井遠江守尚義が、新田義貞に従って延元3年(1338)に越前国(福井県)足羽の合戦で桃井氏一族が討死となり全滅した。
八幡宮は応永34年(1427)に洪水のため流失し、永世10年(1513)ようやく再建された。鎮守八幡社となり境内の丘陵間に、湧き出る水を社の手洗いに使用したことから「アライ」を尊び、村名を新井村とした。従って社名を「新井八幡宮」と称し、地区の守護神として崇敬されている。
現在、「榛東村かるた」に「も」桃井義胤ゆかりの八幡宮(もものいよしたねゆかりのはちまんぐう)と歌われている。
新井八幡宮太太神楽(村指定文化財)
出雲流神楽で、例年八幡宮祭礼に天下泰平、五穀豊穣、悪疫退散を祈念して、太太神楽が奉納されている。
新井八幡宮の太々神楽は、明治時代初め、前橋市の総社神社の太々神楽を伝承したもので、出雲流の正統と言われている。
新井八幡宮 歴史年表
1226(嘉禄2年) 桃井義胤が桃井八幡宮を建立。
1338(延元3年) 桃井尚義が新田義貞と共に藤島の戦いで戦死。桃井氏鎮守の桃井八幡宮も荒廃する。
1427(応永34年) 世上洪水、桃井八幡宮流失。
1513(永世10年) 桃井八幡宮再建。
1514(永世11年) 御手洗の池を築き、湧き出る水を社の手洗いに使用したことから「アライ」を尊び、
村名を新井村(新井)とした。従って社名を「新井八幡宮」と称す。
1598(慶長3年) 新井八幡宮、本地観音堂建立。
1902(明治35年) 本殿、拝殿、神楽殿、抜殿、四棟全焼
1908(明治41年) 本殿、向殿、拝殿、渡殿、新築
(サイト「八幡ホタルの郷(群馬県榛東村)」より)
社頭 | |
社号標「村社八幡宮」 | 庚申塔 |
参道途中に立つ明神鳥居 | |
参道脇に聳える杉並木 | |
下の境内入口 | |
広々とした下の境内 | |
中の境内入口 | |
中の境内入口にいる昭和15年生まれの狛犬 吽は玉取で、眼や歯に着色がしてあります。太めで厳つい狛犬です。 狛犬の拡大写真はこちらで |
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(昭和15年(1940)2月建立) |
左右に遊具が置かれている中の境内の様子 |
上の境内入口と拝殿 |
流造りの本殿 本殿と彫刻類の拡大写真はこちらで |
威徳天満宮、天満宮 | 末社と二十三夜塔 |
末社 | 末社 |
境内社 | |
天王尊? | 太神宮 |
秋葉大権現 | 金毘羅大権現 |
末社 | |
神楽殿 | 宝物殿? |
八幡貯水池 八幡池にはコイ、ヘラブナ、マブナなどが生息し、又、ホタルの人口飼育が行われ、八幡ホタルの郷では、6月になるとゲンジホタル、7月ごろにはヘイケホタルが飛翔するのが見られます。 |