竹ヶ岡八幡宮

桐生市広沢町6(平成17年11月27日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
もうすぐ師走、紅葉もそろそろ終りです。昨年、ラジオだったと思いますが、桐生の旧家、彦部家の様子を伝えていました。もみじも綺麗と言っていたことを思い出し、出かけてきました。入口で貰ったパンフレットには、23日から12月4日まで、「紅葉狩りウィーク」となっています。今日は、お茶の会があったらしく、着物姿の御婦人の姿も見えます。「三時から、朗読劇がありますから、どうぞ」と言われ、聞いてみようと思いました。
始まるまで少し時間があるので、邸内を見学することにしました。土塁や濠をめぐらした広大な屋敷です。紅葉は、盛りを少し過ぎたくらいかもしれません。茅葺きの住宅ともマッチして、なかなかの美しさです。重文指定の建物は、どれも立派なものでした。三時近くになって重文の住宅に入ると、たくさんの人が集まっています。「彦部屋敷昔語り」と題して、桐生朗読奉仕会の皆さんの公演です。大勢の人達が、声を揃えて一斉に読んだり、乱れ読む、「群読」というそうですが、素晴らしいものです。彦部家当主もゲスト出演していました。紅葉狩りと御屋敷散策が出来、思いがけなく朗読劇も見られたので得した気分になりました。
彦部屋敷は、国道50号線を前橋方面に向い、左に少し入ったところにあります。狛犬さんも居ました。年代は不明です。この神社は、12世紀、源義国が岩清水八満宮より勧請したと云われています。

この神社の鎮座地・中世武士館 彦部家屋敷は、手臼山を詰めの城として、館を山麓に配置した典型的な中世の城の形態を成しています。そして 永禄年間以降、城を固めるというよりも由緒ある家柄に相応しい館として整えられたと考えられます。屋敷の規模は東西130m、南北110mのほぼ方形でその中の約100m四方部分が堀と土塁に囲まれた内郭となっています。
虎口(出入口)は南面の大手口(正門)と裏側の東北面の搦め手口(裏門)の2つで、 敷地内には国重文に指定された主屋・隠居屋(冬住み)・長屋門・文庫倉・穀倉があり、屋敷北西隅には源義国(生没年:1082-1155)の勧請と伝えられる竹ヶ岡八幡宮と稲荷宮が祀られ戦国時代から江戸時代の面影を今に伝えています。特に庭園は巧みに竹ヶ岡の細流を導き入れ、水・石橋・滝・池・巨石を配した池泉回遊様式で室町時代の公家文化の香りを今に伝えています。 
という素晴らしいお宅で、彦部家の祖は家伝の「高階朝臣家譜」によると、天武天皇の第一子・高市親王で、あの歴史に名高い悲劇の皇子・長屋王のお父さんにあたる方です。律令に従って高市親王から六代目で臣籍降下、高階姓となりました。その後高階家第21代光朝(1216〜77)の代に、奥州斯波郡彦部郷に移りこの地を領有して土地名をもって彦部姓を名乗り、現在に至りました。 (彦部家住宅ホームページより)

神社入り口の神橋と鳥居 神社遠景
思慮深そうな江戸狛犬ですが、苔むして風格が漂います。
鬣、体毛、尻尾の流れがとても美しい狛犬です。
阿吽と云うよりも双方とも微妙な口の開け方をしています。
境内の様子 石の祠が社殿です




長屋門 邸内の様子
からめ手口 土塁に囲まれた内郭
主屋 桐生朗読奉仕会の群読、
「彦部屋敷昔語り」の様子
文庫倉、穀倉 色鮮やかな紅葉