桐生市黒保根町上田沢(平成18年5月4日)
【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社へは、国道122号線を北上、わたらせ渓谷鉄道の水沼駅を過ぎて間もなく、黒保根支所を左折、しばらく走って栗生神社入口(道路左側に案内板あり)から入ります。道は狭いですが、嘉永元年の鳥居がある所まで行けます。4〜5台の駐車スペースも有ります。
狛犬さんは居ませんでした。石段を登って行くと建物が見え、正面に材木のようなものが架けてあります。近づいてみると、それは奉納された刀でした。このようなものは、初めて目にしたので、「本物の代わりに、木製の刀か。なるほど、なるほど」と感心してしまいました。少年野球チーム(多分)が奉納したバットもあります。地元出身の名工が彫った本殿の彫刻は、なかなか見られないものだと思いました。拝殿脇、御神木の大杉は、推定樹齢1200年と案内にあります。空洞なども無く、とても元気そうでした。
一つ疑問に思ったことがあります。神社の草創が慶雲4年(707年)となっていますが、祭神の栗生左衛門頼方は、ずーっと後の人です。それまでは、別の神様が居られたのでしょうか。
という熊さんの疑問にお答えすべくネットで調べましたが、何も出てきません。そこで群馬県神社庁にファックスを送りお伺い致しました。ところが2週間経ってもご返事はいただけませんでした。
そこで我流に解釈すると、神社左手から登山道を登ると、旧黒保根村で唯一地形図にその名が載る栗生山頂上に行き着きます。今は登山口の栗生神社に降ろされ祠はなく三角点があるのみですが、昔は山頂に奥の宮があったそうです。日本の山には山頂に祠や神社がある山が多く、それは山そのものに対する畏敬の念を土台として、山そのものをご神体としたり、水神様や火伏せの神を祀ったり、先祖の霊や開発の功労者を祀ったりしていた修験道の行者が信仰で山に登っていたせいですが、その修験道が確立する以前にも日本独自の山に対する信仰はあったと思われます。そこでここ黒保根でも元々は栗生山に対する信仰、又は水神や火伏せの神がお祀りされていましたが、後の時代に祀られた栗生左衛門頼方に対する信仰が、より強く、より広がり、いつの間にか主客転倒してしまったのではないか?と私は考えています。