桐生市梅田町1(平成18年5月21日)
【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
この神社は、桐生田沼線を田沼方面に向かい、女子高を過ぎて間もなく、案内標識を左折して、すぐです。鳥居は、文久3年に勢多郡の村々が共同で奉納したものです。神額には、琴平大神と書いてあります。拝殿前の狛犬は、大正10年でした。社殿裏にも狛犬がいます。こちらの年代は不明でした。境内のクスノキ群は、県指定の天然記念物になっています。
社伝由緒によると、この神社の勧請は不詳ですが、一説には延文5年(1360・北朝 南朝では正平15年)の創建ともいわれています。
桐生家の始祖桐生六郎忠利が、宇治川先陣の功により当地を給り、入部の際かねてからの守護神として信仰の厚かった、近江国日吉神社の分霊を勧請したのに始まり、観応元年(1350・北朝 南朝では正平5年)桧杓山城を築いた桐生国綱が城中の守護神として神祠を建立し、神木としてクスノキ5本を献じ、これにより社号を樟御殿山王宮と称したと伝えられています。その後延文5年(1360)社殿を桧杓山の東山麓に移し桐生家の祈願所とし、また里人の崇敬も厚かったようです。その後、桐生氏の滅亡と供に社頭の荒廃著しく、小祠を残すのみとなりましたが、天和2年(1682)旧社地に新殿を建て上久方村五給の総鎮守となり、徐々に社殿の改修が行われていきました。明治5年には村社となり、同時に山王権現から日枝神社と改称しています。
相殿の木花開耶姫神は安産の神として桐生家の内室等の信仰が厚く、また猿田彦命
は中世の両部習合の結果、山王権現の神使・猿猴にその容貌が似ているところから相殿の神とされたようです。また明治期には、琴平神社と境内末社天満宮、雷電命社、出羽神社を合祀しました。
現在の主祭神は大山咋命、相殿に木花開耶姫神、猿田彦命、配神に菅原道真公、月夜美命、大雷命、天御中主命、大物主命、大国主命が祀られています。(関東の神社めぐり プチ☆神楽殿参照)