中之嶽神社

甘楽郡下仁田町上小坂1248 (令和元年5月2日)

東経138度44分26.20秒、北緯36度16分50.47秒に鎮座。

この神社は、上信越道・松井田妙義ICの南西5km程の辺り、妙義山の南側斜面に鎮座しております。

御祭神 倭建尊

由緒
本社は、その昔『波胡曽神』を山の主と祀られて居たが、倭建尊『日本武尊』勅命に依り関東御巡行の際に妙義山に登嶽せりと伝えられる。
人皇第29代欽明天皇の御代に妙形氏が社殿を建立したという。人皇第82代後鳥羽天皇の寿永2年(1184)3月藤原祐胤卿、鍛冶の名工を得て神剣を奉斉せり。人皇第108代後水尾天皇元和2年(1616)丁巳月、加藤長清(道士)登嶽し、中興の開山主として神器を守り奉斎す。徳川時代諸大名の崇敬の致す所と成り、領主織田筑前守信久侯、社殿を改築、中之嶽奉行を設け地所を寄進す。
『厳高寺』を建立し別当とした。人皇第114代中御門天皇の享保5年(1720)5月社僧祐覚吏正・齋藤半左衛門と事実を具進(具申?)して、嵯峨御所より16菊御紋付の幕、提灯を下賜せらる。旧小幡藩(北甘楽郡)の総鎮守社として奉斎される。旧藩主松平家の崇敬も篤く親祭されたと伝へられる。明治11年(1878)小坂村数社を合祀して中之嶽神社と称し今日に至る。

大国神社由緒
人皇第52代嵯峨天皇弘仁9年(818)大納言藤原冬嗣卿と空海(弘法大師)が登嶽し、大国主命を奉斎せりと伝へられる。世に、妙義の大福神と称せられて講中の参拝が三百数十年続き、平成17年(2005)には高さ20m・日本一のだいこく様が奉納される。
当神社で最も歴史と由緒ある御祭が甲子祭で三百数十年に渡り続いています。甲子(きのえね)とは『気が栄える』といい、だいこく様の縁日です。開運・厄除をはじめ様々な御利益があります。
境内由緒書き より。

一の鳥居

二の鳥居

大国神社拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和28年(1953)11月建立)

大国神社拝殿

祥運の龍


石段

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

参道と轟岩

拝殿


末社

石祠

日本一のだいこく様

参拝後ドローンを操縦している人にお話を聞きました。トラクリというドローンの講習、販売等を行う会社の社員で、デモ用の映像撮影に来たとのこと。この時の映像はこちら。