御嶽(みたけ)神社

甘楽郡下仁田町吉崎 (令和6年4月20日)

東経138度47分41.29秒、北緯36度11分53.18秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
上信電鉄上信線の下仁田駅から南に直線距離で800m程のほたる山公園の一角から登ります。登山口から250mの標高差を一気に登りますので急登の連続で、所要時間40〜50分です。

下仁田町の南に位置する御嶽山(576m)の山頂に鎮座する神社です。兄倉山とも御嶽山とも呼ばれています。15年ほど前から気になっていた山で、狛豬の真相を知りたくて遂に決行。狛豬の鎮座する神社は日光市瀬尾の愛宕神社と青梅市の御岳山にある皇御孫命社などがありますが、何方かと言ったら日光市瀬尾の愛宕神社に似てるかな。三社に共通点があり、どれも山の山頂部の神社です。

由緒
不明だが、一番古い八海山堤頭羅神王立像が文化三年(1806)と言われているので、この頃から存在していたのかな?

登山口

最初の祠

鳥居

石灯篭。左は、文久2年(1862)11月の石灯篭。山頂の石祠とほぼ同時期に造られた石灯篭。

手水石

訓導神?。訓導神以下が読めないのだが、御嶽教と関係ある様だ。

社務所?

石灯篭 不動明王
普寛行者 子安観音
拡大してみたら、石屋根の下の石が上下逆様だった。奉納者の名前が上下逆。
御嶽座王大権現像

台座右側の由緒。御嶽山神像青銅の王坐は慶應元乙丑年七月に信徒の喜捨により建立したが、明治三十年一月に盗まれ持ち去られた。信徒は相談し鋳造の像を建立したが、また盗難に遭ってしまったので、今度は石坐にした。盗まれる心配は無い。

金剛護童子と師子光童子。童子とは三十六童子のことで、不動明王を手助けする眷属。

御嶽三座神像。中央が御嶽山座王大権現で右が八海山堤頭羅神王。左は三笠山頭利天。明治元年に建立された。

大光明童子と僧守護童子

安政5年(1858)戊午青倉講中奉納の不動明王。青倉とは近くの地名で、有名な信仰の山として金剛萱がある。大日向村と雨澤村の方が奉納。

虚空護童子と文久4年(1864)正月建立の不動明王。

残念ながら、この山にはピンク色のアカヤシオツツジは咲いて無かった。これを期待してたのだが。

山頂

山名プレート

猪と石祠。最初から豬は一頭だけだったのかな?

右石祠。右側には文久二壬戌年(1862)年二月吉日。左側には青倉〇と工藤茂の文字が読み取れる。〇は村で豬を奉納したのは工藤茂氏かな?

中央の石祠の右側には文久三癸(1863)五月吉日と彫られている。

一体だけの猪。拡大写真はこちら。

(年代不明)猪の台座の文字は殆ど読めなかったが、石祠と同年代らしい。穴は摩利支天が乗っていた穴らしい。これも盗難に遭ったのかな?


手水石

山頂のツツジ

下仁田の街から妙義山方面の展望が良かった山頂。