富士浅間神社

藤岡市藤岡1152 (令和元年5月1日)

東経139度04分38.30秒、北緯36度14分49.86秒に鎮座。

この神社は、JR八高線・群馬藤岡駅の西800m程の辺り、藤岡の街中に鎮座しております。

御祭神 木花開耶姫命

由緒
当社のご祭神は、富士山をご神体とする木花開耶姫命である。天照大神の孫の夫人であり、海の幸の神、山の幸の神らの母親である。火を放った産屋で無事に子を産んだ言い伝えにより、子授け、安産、子育ての守り神として古くから信仰を集めてきた。
富士山は日本一美しい山だが、かつて火山としてたびたび噴火を繰り返していた。その激しい噴火を鎮め、同時の新しい生命を生み出す神として、火中で無事に子を産んだという言い伝えから木花開耶姫命をご祭神としている。女性の守護神、子授け、安産、子育ての神と言われる理由である。
当神社の設立年は不詳だが、当地を治めた古代の有力者を祀る墳墓に祠を設け、平安時代の主要な神社である従五位上郡御玉明神の一社として藤岡の地の守護神としたのが始めと伝えられている。1274年(文永11年)に日蓮上人が佐渡から鎌倉に戻るときに、この地を訪れ八軸の経を納め、同時に富士信仰の厚かった上人は、そのご祭神である木花開耶姫命の御霊を当神社に移し、以来社名を富士浅間神社と改め当地の守り神として広く信仰を集めてきた。
1590年(天正18年)藤岡の領主となった芦田康貞が、藤岡城を築くに当り、北面の守護として当神社の社殿を大規模に拡張・改築し、神官広瀬清源を奈良の吉野より招き宮司とした。江戸時代には庶民の間で冨士講が盛んに組織され、多くの人が当神社を中心にして富士山詣でを行った。「藤岡」の地名は当神社の社名に由来し、「富士岡」が変じて定まったといわれている。
境内由緒書き より。

神社入口

境内

鳥居

古墳上に建てられた社殿

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正14年(1925)7月15日建立)

拝殿内部

本殿


秋葉神社 不明

末社