吾妻郡東吾妻町原町(平成22年7月10日)
東経138度49分41.66秒、北緯36度34分1.76秒に鎮座。
この神社は吾妻線・群馬原町駅の南約180mに鎮座しています。地図に記載はないのですが、35号線沿いに大鳥居が見え、其処を目指していたら、額には「大鷲神社」と書かれています。その突き当たりに神社が見えたので、行ってみると、入口には注連縄が掛かった赤い注連柱が立ち、正面に千鳥破風付き入母屋造りの拝殿が建立され、社殿には「八坂神社」の文字が見えます。頭の中は「????」だらけ。
丁度通りかかったご婦人にお聞きすると、「嗚呼、あの鳥居はこの神社には関係ないの。この道路も参道ではないのよ。ここの神様は素盞嗚尊といって、いつもはこの神社にはいらっしゃらないのよ。普通は駅の向こう側の大宮厳鼓神社にいらっしゃって、お祭りの時だけこの神社にお戻りになるの。」と教えてくださいました。そこで、私は「この八坂神社は、明治期の一村一社制により、一旦は大宮厳鼓神社に合祀されたが、第二次大戦後に復社というか御旅所的な役割を担ってこの地に復座された。」と推理したのですが、真実は如何に?でも疑問点が未だ残ります、「ではあの鳥居の神社は何処にあるの?」何方か、ご存知の方、どうぞ情報をお寄せ下さい。
御祭神は素盞嗚尊ですが、勧請年月・縁起・沿革等については案内がなく由緒は不明です。
7月26日に近い金・土曜日に催行される「原町祇園祭」は大変盛大で賑やかなお祭りのようです。
祇園祭とは京都の八坂神社の祭りで、京都三大祭り(他は上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭)、さらに大阪の天神祭、東京の山王祭(あるいは神田祭)と並んで日本三大祭りの一つに数えられる。また、岐阜県高山市の高山祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の一つにも数えられる。
7月を通じて行われる長い祭りであるが、神輿渡御や山鉾巡行や宵山が中心となる。宵山、宵々山には旧家や老舗での宝物の展示も行われるため屏風祭の異名がある。また山鉾巡行では文化財が公道を巡るため動く美術館とも例えられる。
869年(貞観11年)、疫病の猖獗を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿が66本の矛を立て、神輿3基を送り牛頭天王を祀り御霊会を行ったのがその起源であるという。
祇園祭のハイライトは宵山・山鉾巡行 で、元々は付け祭りだったが、こちらの方がはるかに大規模になった。以前は巡行時に鉾の上から囃し方が厄除け粽(ちまき)を観衆に投げていたが、現在は原則禁止になっている。
神幸祭・還幸祭(神輿渡御)が本来の神社の中心行事。神幸祭は山鉾巡行で浄められた四条寺町にある御旅所へ、八坂神社から大神輿3基に召した神々が各氏子町を通って渡る神事。この夜から7日間滞在する。974年(天延2年)に御旅所(現在と所在地は異なる)を朝廷より賜り、行われるようになった。還幸祭は神輿と神々が御旅所から各氏子町を通り、八坂神社へ還る神事。
祇園祭のうち、とりわけ(広義の)山車、囃子といった山鉾巡行に関する要素は、これが都において町衆・町人階層が執り行う最も華やかな祭礼行事であるところから、その強い影響が全国各地の祭礼、とりわけ城下町などの町人が行う祭礼に広く伝播している。また、祇園祭という名称自体も、同祭神である牛頭天王やスサノオを祀る各地の社寺祭礼の名称として、また単に夏祭りの名称としても、全国各地で広く用いられている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
道路上に立つ大鳥居「大鷲神社」 | |
社頭 | |
神社入口 | |
境内の様子 | |
拝殿 | |
拝殿に掛かる額「八坂神社」 | 本殿覆い屋 |
境内社 | 境内社:稲荷社 |