中山神社
吾妻郡高山村中山2202(平成22年5月29日)
東経138度57分55.62秒、北緯36度37分7.51秒に鎮座。
この神社は145号線・本宿信号から南に入りますが、入口が分かりづらくウロウロした挙げ句に神社に行き着いたので、行き方は今以て良く分かりません。
広大な畑地の奥に黒々とした大きな森があり、畦道のような真っ直ぐに伸びた参道を行くと石段があります。杉林の中の石段を上がると参道は平坦になり、間もなく鳥居が立つ境内の入口に到着します。周囲には大杉が林立していますが、流石に境内は開け、右側には大きく綺麗な神楽殿が建っています。境内中央奥には拝殿、本殿、境内社などが点在し、豊かな森の中、落ち着いた心静かな参拝の時間が過ごせました。
御祭神:金山彦命
祭礼日:4月1日、9月1日
境内社:社名不明
由緒:当社の創祀は不詳なるも、社伝によれば人皇第57代陽成天皇元慶2年(879)、美濃国一の宮南宮神社を勧請すという。其の後第60代醍醐天皇の延喜年中(901)作成の延喜式上野国神明帳内に従四位上中山明神と明記さる。
往古、当地領主宇都宮氏及び中山氏の氏神として代々崇敬篤く、永禄2年破敵明神を合祀奉祭す。
尓後江戸時代は幕府より神領の寄進ありしが、明治初年皆上地となる。
明治40年6月神社合併の発令により字天神菅原神社同末社 字八幡畆八幡神社同末社 字諏訪の原諏訪神社同末社を合併す。大正9年8月27日神饌幣帛供進指定神社となる。
昭和20年8月、大東亜戦争終局と同時に占領軍の神道指令により、社格及び供進の儀は全廃され、以後氏子崇敬者の維持により護持す。昭和27年宗教法人法の施行により宗教法人中山神社として神社本庁より認証され、同時に境内地575坪余と立木全部無償譲与さる。
宮守神主は当地中山家遠祖より累代奉仕し来たるも、故ありて大正元年より林氏替りて奉務し現在に至る。
「中山神社由緒」碑拡大写真はこちらで
社頭 |
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石段の参道 |
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参道の様子 |
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境内入口 台輪鳥居 |
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境内の様子 |
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拝殿 |
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拝殿内の様子 |
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本殿 |
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神楽殿 |
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拝殿前から境内入口を振り返る |
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