川戸神社

吾妻郡東吾妻町川戸1072(平成22年5月22日)

東経138度49分9.57秒、北緯36度33分19.55秒に鎮座。

 この神社は28号線に面したサンワ第三工場西に鎮座しています。玉垣で囲まれた社地入口には社号標が立ち、石段を数段上がると灯籠鳥居が建立されています。境内にはいると、右手に社務所、左手に神楽殿が建ち、中央を通る参道正面に入母屋造り千鳥破風付きの重厚な拝殿が建立され、拝殿と繋がった形の妻入りの本殿もすっきりとした姿を見せています。その他境内には稲荷神社、諏訪神社、道祖神、末社などが祀られています。

 御祭神:邇邇芸命、吾妻太郎行盛、火産霊神、大物主神、五十猛命、大山祇命、品陀和気命、鹿屋野比賣命、埴安神、天照大御神、豊受姫神、御穗須須美神
 祭礼日:例祭・4月14日、祇園祭・7月26日、秋季例祭・10月14日
 境内社:稲荷神社、諏訪神社等
 由緒:古老曰く 貞治年間の勧請と 旧号首宮大明神と称す 而も明治二年四月川戸神社と改称す
首宮と号するは吾妻太郎行盛の首級を祭ることに因りてなり 行盛は吾妻郡の領主にして代々岩櫃城に居城し 貞和年間碓井郡の里見氏と戦い破れて原町立石河原にて戦歿す と吾妻略記に云う 最後の時 敵近付候節立石に飛び上がり自らの首切って投げ給えば不思議なる哉その首二丁許り先なる川向うの大木の中枝に留まり霊光甚だしく 即ち行盛大明神として顕れ給いしなれば川戸村氏子集り社を造り首宮大明神と祝い奉りし鎮守これなり享保年間の頃疫病頻りに流行の節 別当潜龍院社内にて疫病退散の護摩祈願の折一匹のヲサキ爐の周囲を徘徊するを幣串にて打殺し従者に命じて神木なる欅の大木の根元に埋めしに疫病直ちに止む然るに翌年境内掃除に際し堀り返したるに少しも損せずミイラとなりてありたり これ神徳のなすところと 宝物として社内に納め置き 毎年一月の一二三の三日間旭の出前の参拝者極めて多しこれにてその歳の疫病をまぬがれると云い伝う
これ本社初詣りの起因なり
当社の宝物として吾妻太郎行盛の用いしという甲冑に太刀等及び幕府旗本朝比奈氏の寄進なる神鏡一面 長船長光の短刀「ヲサキ」狐の「ミイラ」の箱入り一個なりしが 慶応二年三月十九日の火災により悉く焼失せり 
   昭和63年10月吉日

社頭
社号標 神社入口に立つ台輪鳥居
参道・境内の様子
拝殿
向拝下彫刻・鳳凰
目貫彫刻・波に鶴、龍
木鼻・狛犬
本殿
境内社:稲荷神社 境内社:諏訪神社
道祖神、双体道祖神 弁財天女他末社
神楽殿