岩井白山神社

吾妻郡東吾妻町岩井1026(平成22年5月22日)

東経138度50分54.77秒、北緯36度34分28.57秒に鎮座。

 この神社は吾妻線・中之条駅の南西約1kmに鎮座しています。入口には桜の古木が生え、鎮守の杜は杉か檜の濃い緑で覆われています。石段参道途中に灯籠と台輪鳥居が立ち、境内正面に唐破風付き入母屋造りの拝殿、神明造りの本殿が建立されています。多数の末社も大事に祀られ、清々しい感じの神社でした。
 この社は地図によっては「岩井神社」「白山神社」と記載されていますが、神社庁への届け出は「白山神社」の様です。昔は「白山神社」だったのかも知れませんが、沢山の神社が合祀されたのに伴い、地域名を冠した「岩井神社」に変更されたのかな?…と私達は考えています。

 御祭神:菊理比盗_、外九柱
 祭礼日:不明
 境内社:多数
 由緒:貞和5年(1349)5月25日吾妻の領主・吾妻太郎行盛は碓氷里見氏に攻められ討死したが、嫡子太郎憲行は其の叔父斉藤氏の庇護を受けて延文(1356)〜貞治(1362)の間に里見氏を亡ぼし、吾妻の本領を回復することを得て、遂に斉藤氏を継承することとなった。斉藤氏は北陸道七ケ国押領使兼越前国追補使斉藤越前権介忠頼の後蕎で、代々加賀白山の白山比畔神杜を尊崇していた。この故を以て父行盛の墳墓の地である岩井村の地に白山大神を鎮祭し斉藤家代々の守護神としたという。
 永禄9年(1566)斉藤氏が滅亡の後は、真田家等から土地の寄進があり、本村字田中に鎮座していたが、旧宮守次郎右衛門から真言宗長福寺に社務一切を委任し、正徳5年(1715)10月字古和久保長福寺の側に遷座。
 明治元年神仏分離令により現在地に移転し、同2年4月遷座式を執行した。
 明治10年に相殿一座を合祀し、同40年10月23日許可。本杜境内末社二社、同大字無格杜諏訪神杜同境内末社一杜、無格社熊野神社同境内末社一社を本杜へ合併した。
 大正10年12月23日神饌幣帛供進神社として指定された。

社頭
参道入口
石段参道途中に立つ台輪鳥居
境内入口
境内の様子
拝殿 拝殿に架かる額
神明造りの本殿
末社 末社
末社 御神木