諏訪神社

高山市国府町上広瀬 (平成17年8月21日)

東経137度14分34.86秒、北緯36度11分56.53秒に鎮座。

高山市街地から国道41号線で北上し、道路が旧国府町に入り、宮川に沿って大きく左にカーブした後、高山本線の下を潜ります。その後最初の信号を過ぎてから約800ほどで右側踏切の向こうに社号標と鳥居が見え、そこが神社入り口です。杉のご神木に囲まれた綺麗な神社で、社殿内随神さんの傍に神殿狛犬がいたのですが、暗くて見えず写真に撮ってこなくて残念でした。又、ここも県の重要無形民俗文化財・金蔵獅子が加茂神社同様、9月の例祭で奉納されていますが、詳細については下記にてどうぞ。

社号標と神社入口

参道

阿は玉取、吽は親そっくりのチンクシャ顔で一緒に睨みを利かせています。小顔で胸板の厚い姿勢の良い狛犬です。

(昭和17年(1942)9月建立)

拝殿

拝殿内の様子

本殿覆屋

磐坐でしょうか、玉垣に囲まれています。

神楽殿

ご神木の栃の木

県の重要無形民俗文化財・金蔵獅子情報 】
金蔵獅子は飛騨地方の代表的な獅子舞のひとつです。始まりは定かではありませんが、その歴史は古いと言われています。
金蔵獅子は、里を乱す獅子を金蔵(男神)がお亀(女神)に応援されながら退治するという構成。勇壮な戦いの舞を、人間くさい男女のやり取りが引き立てます。廃れることなく長く引き継がれてきた訳は、面白く大衆に親しまれる要素を持っていたからと思われます

伝説の獣「獅子」はライオンがモデルといわれます。もちろん日本にライオンはいませんでしたから、獅子は単なる獣ではなく大陸から伝えられた畏怖すべき神獣でした。ところが金蔵獅子では、この獅子を金蔵が退治してしまうのです。
日本において本来「シシ」はイノシシのことで、シシを狩る行為は当時の人にとって生活の糧を得ることでした。金蔵が獅子を倒すことは、シシ狩りの成功を祈る、しいては作物の豊作を祈願することにも通じていたと思われます。
また猿田彦命と天細女神が、猛獣や悪神を倒しながら伊勢五十鈴川上に向かった神話のなかにあるエピソードのひとつが元になっているともいわれます。かつて国府が置かれ、飛騨地方の文化の中心地だったから生まれた獅子舞と考えられるのです。
飛騨各地の金蔵獅子のなかでも国府の金蔵獅子は特にストーリーが完成されており、登場する三者三様のしぐさも計算しつくされた伝承芸能として芸術性が高いものです。米国で開催されたジャパンフェスティバルの公演でも好評を博しました。(国府町教育委員会・岩花秀明さん筆)