武芸八幡宮

関市武芸川町八幡(平成21年5月2日)

東経136度51分4.43秒、北緯35度31分59.45秒に鎮座。

 この神社は武芸川中学校の北東約1kmに鎮座しています。参道入口には嘗ての別当寺であったと思われる福寿寺や社務所、神社会館、御旅所があり、ここから社殿までは約650mもあるのですが、実は一の鳥居はここより南約1km程先の街中に建っているということを帰ってきてから知り、ビックリしています。この神社は参道が長いことでは県下有数なのだそうです。
 鳥居からは徒歩の参道と車で行かれる参道が並行してありますが、300m程先に昔は「下馬」、現在は「車止め」のある分岐点があり、ここでは織田信長建立の「下馬標」や、八幡谷川に架かる趣ある石の太鼓橋が見られます。信長というと比叡山焼き討ちに見られるように、神社仏閣などへの信仰心は皆無な人かと思っていたので、いささか吃驚の感が拭えませんでした。
 車止めの後方には簡潔な造りの随神門が建ち、そこから又参道が300m程続くのですが、その間には境内社や推定樹齢1000年を越える大杉を始め杉や檜の並木が見られます。
 境内中央には重厚で開放的な拝殿が建ち、透かし塀内には大きな流造の本殿が建っています。本殿右側には境内社が建ち並び、今はもう梵鐘の無い鐘楼も建っていました。
 広大な社地と鎮守の杜を持つ、祭礼日以外は静かで涼やかな参拝が出来る、素晴らしい神社でした。

 御祭神:応神天皇
 例祭日:4月中旬の日曜日(花馬まつり)
 境内社:琴平社等
 由緒:養老元年(717)創建と伝えられている由緒ある古社です。一時荒廃しましたが、観応2年(1351)、森泰朝(森頼定の五男)が社殿を再建・再興し、以降森蘭丸など森氏が篤く崇敬しています。又、神社が織田家の鬼門にあたることから美濃を治めた織田信長・信忠・信孝の3代から崇敬を受け、信長建立の「下馬標」や信長親子の「安堵状」も残っています。
 例年4月中旬(4月15日に近い日曜日)に行われる例祭は全国的にも珍しい「花馬まつり」といい、和紙と竹で造られた桜の造花を背中に飾った4頭の馬が神社の境内に駆け込むと、待ち構えていた人々がその馬に詰め寄り、馬の背中の桜花を奪い取るといういものです。この奪った花を持ち帰り、家の屋根に上げておくと、「落雷防止」「家運隆盛」に御利益があると伝えられているそうです。嘗ては山車や神輿で行われていましたが、江戸時代後期に馬を使うようになったといいます。この「花馬まつり」は武芸八幡宮の境内ではなく、御旅所での開催だそうです。

社頭
参道入口にいる建立年代不明の中国製狛犬
参道入口左に建つ神社会館 参道入口右に建つ御旅所
参道入口の明神鳥居
鳥居前にいる昭和2年生まれの狛犬
中部・北陸などに良く見られる狛犬ですが、上半身の発達した顔が大きい子達ですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和2年(1927)10月建立)
昔は「下馬」、現在は「車止め」される、参道途中の分岐点
織田信長建立の「下馬標」 八幡谷川に架かる太鼓橋
随神門
参道の様子
参道左側に祀られる境内社:琴平社
ふと参道左に目を向けると石碑と小さな社殿が二つ見えます。
近づいてみたら「八幡山神宮寺別当大聖寺遺蹟」碑と社名の無い境内社でした。
参道途中に聳える県指定天然記念物・大杉
推定樹齢・約1000年、樹高・38m、目通・7.5m
未だ参道は続きます
境内入口
重厚で開放的な拝殿
拝殿内の奉納絵馬、三十六歌仙絵等
拝殿と本殿の間にいる建立年代不明の狛犬
非常に撮りずらい場所にいるため余り良い写真ではありませんが、耳が大きく立ち、厳つい顔つきの、この地域の標準的な狛犬です。造りは丁寧で良い狛犬だと思います。
狛犬の拡大写真はこちらで
透かし塀内の大きな流造の本殿
祭祀場? 本殿右側に建ち並ぶ境内社
本殿右側に建ち並ぶ境内社 本殿右側に建ち並ぶ境内社
嘗ての鐘楼
今はもう梵鐘はありません。
石組みの堰も注連縄が掛けられています。
境内左側の鎮守の杜の様子 参道途中左側にある蓮池
夏には毎日綺麗な花が見られるのでしょうね〜。
参道途中左側には奥ゆかしい菖蒲の花が咲いていました。