手力雄神社

大垣市禾森町3(平成17年3月20日)
               (平成18年7月1日)(戴・追記)

 この神社は大垣駅の南南東約1.5km、国道258号線に面して鎮座しています。
 創建は長保3年(1001)で、御祭神は手力雄命です。参道には奉納灯籠が建ち並び、本殿壁面、及びに縁の下に丸彫り彫刻の狛犬が沢山いたのが印象に残っています。
 
 その後、禾森町の手力雄神社を勧請・創建された沼波儀右衛門丞定勝公の直系の末裔でいらっしゃる、沼波定治様よりご連絡があり、神社の由緒来歴について詳しい資料を戴きましたので、ご紹介致します。

【狛犬情報・沼波定治様より】
 「沼波家と禾森の知られざる歴史」
   沼波家第三十三代当主 沼波 定治著 
より手力雄神社の由緒来歴に関係した部分を抜粋して記載させて頂きました。

 長保3年(1001)4月、沼波儀右衛門丞定勝公が、兇賊の巣窟となっていた禾森から兇賊を追い払い、道中難儀していた旅人のために、国土安寧や道路の悪霊を除き道行く人を守護する道祖神として、「白髭大明神(猿田彦命)」を本社にお祀りし、左脇宮には、長寿の神、子供の守護神、生活苦・災難・病気に御利益のある神、また干拓事業の守護神でもある「若宮八幡宮(仁徳天皇)」を、右脇宮には、この年に誕生した嫡子が力強く逞しく育つことを願って、大力の神として崇敬される「天手力雄命」を、後の「栗木場」、現在は「大垣市大井」の地に勧請して神祠を創建し、三座を合わせ祀り、文治元年(1185)定勝公七世孫・儀右衛門定忠公が祠宇を修理、大きなお社や鳥居を建立しました。
 その後、延元の乱により神祠が焼失、定勝公十三世孫・善右衛門定盛公が、文和元年(1352)冬青場(現在地)に菅造の社殿を再建・遷宮しました。寛永11年(1634)春には、時の大垣城家老の子息が芝草に火を放ち、白髭明神社殿が類焼したため、白髭明神社は沼波八助定綱公により池田郡廣瀬郷川上村に遷宮され、天手力雄命と若宮八幡宮の二社殿となったので、手力雄神社を本社とし若宮八幡宮を末社として再興されました。
 その後、明治4年に旧村社となり、明治43年に当地の水神神社(罔象女神)、御鍬神社(豊受大神)を合祀しました。近年では昭和3年に本殿、弊殿が新築、平成9年には弊殿、拝殿が新築されました。


 その後沼波様から、「上記の「手力雄神社の本社であった白髭明神社が、寛永11年(1634)春、類焼した為、沼波八助定綱公により池田郡廣瀬郷川上村に遷宮された。」と記録に残る白髭明神社のその後を、平成19年10・11月に現地川上を二回にわたり訪問し調査しましたが、残念乍ら現在では不明…となってしまいました。」
 「白髭明神が独立した神社であるとか、何処かの神社の境内社として祀られているのであれば判りますが、禾森の手力雄神社の本殿に水神さんとお鍬さんを相殿として合祀したように、猿田彦命が何処かの神社の本殿に相殿として祀られたのであれば、本殿をご開帳しない限りなかなか判明しないと存じます。」とのご報告がありました。
 明治以降、神社は数回にわたり、合併、合祀などの統廃合を余儀なくされてきました。例外的に、氏子さんの熱意により旧地に復興された社もありますが、白髭明神社のように所在不明となってしまった社が多いのではないでしょうか。古から日本人の心のよりどころとして崇敬を受けてきた社の現状を考えると心が痛みます。

神社入口 奉納灯籠がひときわ目立つ緑の参道
ドッシリと落ち着いた拝殿 彫刻の見事な本殿
大顔で鼻の下の口髭がダンディーな浪花狛犬

(大正5年12月建立)
本殿の左右の壁にいらした丸彫りの狛犬様
本殿の縁の下で睨みを利かしている狛犬達
本殿脇障子の狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで