中津川市付知町倉屋(平成17年8月23日)
この神社は国道256号線と486号線が合流する付知狭口から南の旧道に入り約400mで右折すると突き当たりに鎮座しています。付知五社(若宮、子安、水無、大山、倉屋神社)の一社で5年に一度9月の2日間、3体の人形による「三番叟」と「娘手踊り」が奉納され、人々の長寿と悪疫退散、天下泰平、家内安全・五穀豊穣を願い祭事がとりおかなわれます。戦国時代、飛州麻下郡(飛騨益田郡)の郷土田口四郎左衛門が苗木城主遠山氏に協力し、北方から進入する敵兵を防ぐ為、付知村に來住した。その後田口氏の子孫は帰農し、代々付知村庄屋として農民生活を続け、祖先の苦労を感謝する意味で、延宝元年(1673)に、牛頭天王社を再建し、その後村最初の操人形・翁舞を発起して、現在の五社巡祭に引継がれています。このように始めは田口家の守護神をまつる社でしたが、明治6年「倉屋神社」と改められ、同時に倉屋地区民一同の氏神となりました。(あすなろホームページより)
境内入り口のムクロジ
境内の様子
拝殿
弊拝殿入り口
弊拝殿
本殿
本殿内の木造神殿狛犬。
進化はじめタイプの様ですが格子が邪魔で殆ど見えません。
脇障子の飛天浮かし彫り