大矢田(おやだ)神社

美濃市大矢田2596(平成21年5月2日)

東経136度52分16.93秒、北緯35度33分04.74秒に鎮座。

 この神社は天王山南麓に鎮座しています。神社一帯は楓谷と呼ばれ、樹齢1000年以上の古木も聳える約3000本のヤマモミジの原生林があり、国の天然記念物や飛騨・美濃紅葉三十三選の一つに指定されている、極めて風光明媚な神社です。
 参道入口に建つ明神鳥居を潜り参道を進むと、廃仏毀釈の嵐の中唯一残された享保8年(1723)再建の県重要文化財・楼門(仁王門)が厳かに建っています。楼門内には力強そうな筋肉隆々の仁王様がその名の通り仁王立ちしていらっしゃいました。
 楼門を潜り抜けると、二本の見事な御神木が聳える参道となり、ヤマモミジの原生林の中を石段の参道が境内へと続いています。石段途中には恵比須神社、祖霊殿、天王天満神社等が祀られ、境内直下には左に直毘の滝、右に荒祭若宮神社が祀られています。
 境内にはいるとすぐ正面に国重要文化財指定、寛文11年(1671)再建の切妻檜皮葺きの拝殿、中門と板塀に囲まれた中に国重要文化財指定、寛文12年(1672)再建の檜皮葺きの本殿が建立され、本殿には切妻をはじめ、各部に豪華で精巧な彫刻が施されています。又、社殿左には境内社・雄建神社も祀られています。
 この社は、今回の旅の中では、素晴らしい思い出の残る神社となりました。

 御祭神:建速須佐之男命、天若日子神、阿遅志貴高日子根神
 祭礼日:例祭・4月第2土・日曜日、主な神事:ひんここ祭り(4月第2土曜日、11月23日)、春祭・2月第2日曜日、祇園祭・7月17日に近い土曜日、秋祭・10月18日に近い日曜日
 境内社:恵比須神社、祖霊殿、天王天満神社、荒祭若宮神社、雄建神社、境外社:青柳神社、表山天神社、華堂神社
 由緒:大矢田神社は上古、人皇第七代孝霊天皇の御代の創祀であって、元正天皇の養老2年(712)、釈泰澄大師が当社に参篭して篤く尊仰し天王山一山を開基した。広大な堂塔伽藍を建立して天王山禅定寺と称して頗る盛観をきわめた。七堂伽藍は、極楽坊、当泉坊、岩蔵坊、宝積坊、本地堂、薬師堂、宝堂、鐘楼堂、護摩堂等にて、社頭は牛頭天王社と称して、聖人達は「お天王さま」の名で親しみ、遠近の人から篤く尊仰されていた。
 聖武天皇の御宇、天平7年疫病が流行し天下悉く悩乱した。時に天皇様は当社に勅命を下されて御祈願を為し給うた。この時、勅使下向して、「下馬札」を賜った。現在尚大切に保管されている。その後社領七千石を附された。応永年間には将軍家臣村上若狭守源氏重は当社を篤く尊信して武運祈願のために、大般若経を書写して奉納した。現在も美濃市重要文化財として保存されている。
 後奈良天皇の弘治2年(1556)、兵乱が起こり類火に罹って一山残らず焼失した。その後、永禄2年(1559)仮の本殿・拝殿が建立され、その後長き年月に亘って、社殿・仏堂等を再建し、霊元天皇の寛文12年(1672)8月、釈迦堂跡に現在の本殿が再建された。総欅造極彩色、流造檜皮葺正面千鳥破風唐破風付きの建物で、平成元年5月には国の重要文化財に指定された。
 当社境内は古来、「やまもみじの樹林」を以ってその名が高く、昭和5年11月には文部省の天然記念物の指定を受けた。享保八年の記録に寄れば東山天皇の元禄年中に尾張藩老中玉置市正が、当社に参拝し、紅葉の美麗なる枝を折りて、尾州大納言に献上することがあった。大納言は大いに嘉納せられ、以降尾張藩の当社への崇敬さらに篤く、寛文の本殿再建にあたっては、本殿唐破風の正面ならびに392本の垂木の端には葵紋章を符する事を許されている。
 当社には一社伝来の古式の「ヒンココ祭」があり、500年の伝統を以って盛んに伝承されてきた。そのお囃子は「日の御子天皇様・御皇室の弥栄えを祈る」氏子の切なる祈りの心を歌った「ヒンココ・チャイココ・チャイチャイ・ホーイ」である。
 弘治の兵乱に一山焼失後は、次第に衰微して、遂に極楽坊と当泉坊の二坊が残って明治維新を迎えた。
 明治元年、神仏分離の大命を拝して、仏堂等を悉く廃して、旧牛頭天王社を大矢田神社と改称し、明治六年美濃国第八大臣第九小区の郷社に列せられた。
 昭和21年10月5日宗教法人令による宗教法人となり、昭和27年1月16日宗教法人表山天神社華堂神社及び青柳神社を合併し、昭和27年12月15日には、宗教法人法により宗教法人大矢田神社を設立した。
 摂社青柳神社は美濃市大矢田1039番地の1にあって、御祭神は大巳貴命を祀り、摂社表山天神社は美濃市大矢田1260番地の1の表山にあって、御祭神天若日子命を祀り、摂社華堂神社は美濃市大矢田2597番地の1にあって、櫛荷田姫命を祀り、共に本社御祭神緑の神である。
 (「金幣社大矢田神社由緒」碑より)

参道入口に建つ明神鳥居
楼門前、昭和13年生まれの岡崎現代型狛犬
(昭和13年(1938)6月建立)
明治3年、神仏分離・廃仏毀釈により仏教施設は廃され、唯一残された享保8年(1723)再建の県重要文化財・楼門(仁王門)
楼門内に居られる仁王様
楼門を潜ると、二本の見事な御神木が聳える参道となります。
平坦な参道脇にも「大矢田もみじ谷」の名に恥じず、ヤマモミジの原生林の一部が見られます。
参道脇の大岩 石段参道に架かる太鼓橋
ヤマモミジの原生林の中、一直線に伸びる石段参道

石段参道途中左側に祀られる境内社:恵比須神社
境内社:祖霊殿 「大矢田神社遥拝」碑
石段参道途中左側に祀られる境内社:天王天満神社

境内下、左側にある「直毘の滝」
石段参道も終わりに近く、社殿が見えるようになってきました。

境内右下に祀られる境内社:荒祭若宮神社
荒祭若宮神社社殿 荒祭若宮神社社殿裏の磐座
境内下に設えられた手水舎 境内入口の鳥居
国重要文化財指定、寛文11年(1671)再建の切妻檜皮葺きの拝殿
拝殿内の様子 拝殿に架かる弓矢の額
檜皮葺の中門
中門と板塀に囲まれた本殿前を護る大正5年生まれの狛犬
(大正5年(1916)11月建立)
国重要文化財指定、寛文12年(1672)再建の檜皮葺きの本殿
社殿の切妻をはじめ、各部に豪華で精巧な彫刻が施されています。
本殿向拝下の彫刻・狛犬
本殿外側の木鼻・獏?
本殿内側の木鼻・狛犬
本殿脇障子の彫刻
本殿妻下の彫刻・力士

境内左側に祀られる境内社:雄建神社
境内にある「大神宮遥拝」碑 社殿
大矢田もみじ谷
約3000本のヤマモミジの原生林があり、樹齢1000年以上の古木もあります。昭和5年、国の天然記念物に指定され、又、平成16年には飛騨・美濃紅葉三十三選の一つに指定されています。見頃は毎年11月初旬だそうです。