八幡神社

 揖斐郡揖斐川町坂内川上1506-1-4(平成19年10月初旬)

 以前、大垣市禾森町・手力雄神社の由緒来歴について詳しい資料を提供して下さった沼波定治様が、嘗て「手力雄神社の本社であった白髭明神社が、寛永11年(1634)春、類焼した為、沼波八助定綱公により池田郡廣瀬郷川上村に遷宮された。」その後を現地に行かれて調査され、中間報告という形でお知らせ下さいました。

 その後、沼波様は再度坂内川上を訪れ、旧坂内村の助役をしておられた方にお聞きしたりして、再調査をされたそうですが、残念乍ら「白髭明神社」のその後は不明のようで「当家には白髭明神に関する古文書が幾つも残されておりますので、強ち偽りの話ではないと思いますが、白髭明神が独立した神社であるとか、何処かの神社の境内社として祀られているのであれば判りますが、禾森の手力雄神社の本殿に水神さんとお鍬さんを相殿として合祀したように、猿田彦命が何処かの神社の本殿に相殿として祀られたのであれば、本殿をご開帳しない限りなかなか判明しないと存じます。
元助役さんには今後も気を付けておいて頂くようにお願いしておきました。」とのご連絡がありました。(平成19年11月6日)

【狛犬情報・沼波定治様より】
 「寛永11年(1634年)の春に禾森から池田郡廣瀬郷川上村へ御飛退された猿田彦命(白髭大明神)がその後どうなっているのか気になって、家内と二人で出かけて参りました。随分と山奥で、当地大垣からは車で約1時間半程かかりましたが、寛永11年(1634年)に、春とはいえ雪も深かったであろうに、どうしてこんな山奥まで来られたのかと不思議に思った次第でございます。現地の人達に伺いましたが、白髭神社があったことを知っている人はおられず、私の推測では、地形的に見ても、上流の木之本へ抜ける山道と夜叉ヶ池へ行く道との分岐点に白髭明神が祀られたのではないかと推察致します。恐らく、原敬が明治39年(1906年)に「一町村に一社を標準とせり」という合祀令を出した時に何れかの神社に合祀されたものと思われますが、その可能性が高いのは、この地方で最も古いと思われる八幡神社ではないかと思われます。」という事で、八幡神社についてお調べ下さり、情報を戴きました。
 「村社 八幡神社」の標柱のある石道路をドンドン上がって行くと本殿前の鳥居の前に出ます。鳥居を潜って階段を上がると拝殿の前に出ます。本殿は新しく建て替えられておりましたが、左右の脇の彫り物も素晴らしく、その左右の素晴らしく見事な彫り物の前に、相当古いと思われる木彫りの狛犬様が、左に一対、右に一対と鎮座しておられました。私が見ても相当古く立派な狛犬様と存じました。
 八幡神社の脇社も古い祠でしたが、一柱は「夜叉龍神社」を分祀したもの、一柱は「藤井神社」と聞きました。

 この社は、美濃國池田郡川上村の町村略史(明治12〜14年に岐阜県記録課が作成)の神社の項に「村社八幡神社祭神応神天皇例祭九月廿三日字宮ノ高(ミヤノタカ)ニ鎮座創建年月不詳・村社八幡神社祭神応神天皇例祭九月九日字門入(カドニュウ)鎮座創建年月不詳・村社藤井神社祭神不詳例祭四月三日字小貝筋(コガイスジ)ニ鎮座創建年月不詳・無格社六社」とありますが、川上の宮高にある八幡神社です。廻廊に置かれている木造の狛犬(句馬犬)は、徳山門入村の大工金右衛門の寛政10戊午年(1798年)10月の作のようです。


 御祭神:応神天皇、息長帯姫命、仲哀天皇
 例祭日:嘗ては9月23日でしたが、現在は不明です。
 境内社:藤井神社、夜叉龍神社
 由緒:旧村社で、創建年は不詳ですが、古来より西濃一帯の雨乞いの霊場として名高い「夜叉ヶ池」の里宮として崇敬を受けてきました。。
 明治44年、地蔵平・夜叉龍(高寵(こうらい)本来はウ冠ではなく雨冠です。)神社、村ノ内・白山神社の二社が境内社として遷座され、大正8年、小貝筋・藤井神社を合併、昭和3年、境内御鍬神社を合併しました。

社号標「村社 八幡神社」 神社入口
神橋と境内入口
昭和10年生まれの岡崎現代型狛犬
(昭和10年(1935)9月建立)
境内の様子
向拝のない大きな拝殿
社額には「八幡宮」と書かれています。
本殿正面
左右の縁には木箱で保護された
木造狛犬が、それぞれ一対ずつ
並んでいます。
本殿廻廊左右に居る寛政10戊午年(1798)建立の木造神殿狛犬二対
 前面をガラス窓で保護された箱に納められ、体高は約70cm、目が窪んでいるのは嘗て玉眼が嵌っていた痕跡を残すもので、尾の造りは分かりませんが、ノコギリ歯が目立つ風貌はどちらかというと狼系のように見えます。体表には白い彩色が残り、阿の口内には朱の跡が見られます。この様に阿吽二体を一組として二対を廻廊左右に置いてあるのは始めて拝見しました。木肌の現れた体表からは、長い年月廻廊にて本殿をお護りしてきた風格というか、神々しさが感じられ、その造り、置き方と共に、非常に珍しく貴重な狛犬達です。
 この狛犬達を製作した徳山門入村大工・金右衛門は名工の誉れが高く、都に出て御所の建築にも携わった事もあるそうですが、この狛犬製作の依頼を受けた時には、弟子と二人精進潔斎して堂に籠もり、彫刻に専念したのだそうです。(「美濃國池田郡川上村・町村略史」参照)
(徳山門入村大工・金右衛門 寛政10戊午年(1798)10月建立)
境内社左から・夜叉龍神社,、藤井神社
 夜叉龍神社は、古来高龗神を奉斎する社として地蔵平に鎮座していました。明治28年「ナンノ坂」が大崩落をして坂内川に堰塞湖(自然のダム)が出来、大雨の時にその堰が決壊し、川上村の大半の民家や夜叉龍神社もお地蔵さんも流失してしまいました。暫くは神霊を長昌寺に祀っていましたが、明治44年この社の境内社として遷座されました。
 藤井神社は嘗て木地師が住み着いて形成された集落・八草の小貝筋に鎮座していましたが、明治期の町村合併により村落そのものが離散したため、大正8年にこの社の境内社として遷座しました。現在もその神社跡地はそのまま空き地となっており、毎年夏には八草から離散した人達が参拝に訪れているとのことです。