岸剣(きしつるぎ)神社

郡上市八幡町柳町438(平成20年11月22日)

東経136度57分42.91秒、北緯35度44分54.99秒に鎮座。

 郡上市でもこの辺りは紅葉の真っ盛り、神社の入口や境内は杜の緑の中にモミジの真っ赤な色が冴え、まさに「〜濃いも薄いも照る山紅葉〜」の有様で、今年初めて本格的な紅葉狩りが出来ました。入口石段上には変わった形の鳥居が建ち、境内下は郡上八幡城(別名・積翠城)二の郭跡となっています。ここには幕末に非業の最期を遂げたり、悲哀の内に故郷を捨てざるを得なかった陵霜隊士を偲んだ碑が建っています。
 境内入口への石段を上がると右手には境内社が三社祀られ、参道を左に折れると境内入口には台輪鳥居が建ち、正面に向拝のない拝殿と、後方の覆い屋内に本殿が建立されています。
 本殿後方の北参道入口にも社号標が建ち、ここからは濃飛八景と謳われた城山公園となり、山頂には郡上八幡城が建っています。
 郡上八幡城は戦国時代末期、永禄2年(1559)遠藤盛数が東殿山の戦いで東氏を滅ぼし郡上を統一し、八幡山に城を築板のが始まりです。八幡山は、南を吉田川、西を小駄良川が流れており、これが自然の堀の役目を果たす要害の地でした。このときふもとに城下町をつくったのが、城下町郡上八幡の始まりです。盛数は、郡上統一後わずか3年で没し、その子慶隆がわずか13歳であとを継ぎ、八幡城の危機を救うため慶隆の母を関城主(関市)永井道利(斎藤竜所興の叔父)のもとへ再縁させました。良妻賢母の誉れ高い「山内一豊の妻」は、遠藤盛数の娘で、再婚した母と共に苦労を重ね、やがて縁ありて、織田信長に仕官して間もない山内一豊のもとに嫁いだと郡上八幡では言い伝えられています。その後秀吉の天下となりますが、慶隆は織田信孝についたため秀吉の不興を買い、領地2万石を没収され、わずか1万3千石の城主として加茂軍白川村に転封され、信長の名将稲葉一鉄の嫡男・稲葉貞通が八幡城主に着任し八幡城の全面改修を行いました。左遷された遠藤貞通は関が原の戦いの時点では、東軍(家康方)に属し、稲葉貞通は西軍に属した稲葉貞通の八幡城を攻め、和睦した貞通は、大分県の臼杵5万石に転封され、慶隆は郡上に復帰し、2万7千石を拝領しました。寛文年間、藩主・遠藤常友は、古今伝授の故事を伝える宗祇水を整備し、白雲水と名を改め、また、承応の大火の後、防火用水を拡充し、城下町を整備したといわれています。

 主神:素戔嗚尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊、天照皇大神、菊理姫尊、猿田彦尊、 合祀:(白山神社)菊理姫尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊、(八幡神社)応神天皇、武内大臣
 祭礼日:例大祭・4月第3土・日曜日
 境内社:養蚕神・天神七代・金毘羅社、積翠神社、英稲荷神社
 由緒:養老元年(717)に元正天皇の勅命を受けた泰澄大師が気良の里に御宝剣を神体として鳥居の宮を建立したのが始まりとされています。
 後に、治承2年(1178)に気良の里の住民が旱魃に際して降雨を祈願して岩の上に剣を祀ったところ大雨となり、剣は流出し肴町に漂着し、肴町の岩山に宮を建て不動の宮として祀られました。
 慶長19年(1614)に、八幡城主・遠藤慶隆公が宮ヶ瀬橋近くに不動の宮を遷座し城下の氏神とし、後水尾天皇から岸剣宮の称号と十六菊花紋を許されました。
 明治19年現在の社殿の南側に移転遷宮しましたが、昭和17年又現在の境内へ復座されました。昭和53年、金幣社に昇格しています。
 4月第3土・日曜日に執り行われる春祭は岸剱神社・日吉神社・八幡神社三社の大神楽競演が見ものだそうで、郡上八幡に春の訪れを告げる大事な祭礼です。朝早くから神楽の音が山間の町に響き、両日は街のどこかで神楽が打たれているそうですが、もともとは日吉神社と岸剣神社とで行われていた祭礼を、小野八幡神社も秋祭りを春祭りに変更して三社が一緒に執り行う事となったのだそうです。日吉神社は雄獅子、岸剣神社は女獅子がでて,、日曜日の夜の打ち上げで神社へ戻る獅子の名残惜しげな様、町内の氏子が提灯を持って迎える様は実に情緒ある風景だそうですし、その他八幡神社の豪快な奴踊りなど、見どころ満載のようです。
 県・重要無形民俗文化財の岸剣神社大神楽は、八幡城主遠藤友常が京都より勧請し、寛文7年(1667)に初めて祭礼を行ったと伝えられています。
 又、7月中旬から郡上踊りが開催されますが、7月28日には岸劔神社川祭が行われます。

 

「八幡城周辺案内図」はこちらで

神社入口
入口石段上に建つ変わった形の鳥居
境内下に建つ「陵霜隊」碑
境内入口下に建つ社号標
「金幣社 岸剣神社」
境内入口
参道右側に祀られる境内社:養蚕神・天神七代・金毘羅社
参道右側中央に祀られる境内社:積翠神社
参道の一番右に祀られる境内社:英稲荷神社
境内入口と境内の様子
境内入口に建つ台輪鳥居 台輪鳥居に架かる社額
拝殿前、昭和17年生まれの招魂社系狛犬
(昭和17年(1942)11月建立)
拝殿
拝殿内の様子

本殿覆い屋と本殿
境内北参道入口に建つ社号標 境内北、城山公園内に建つ
境内社・積翠神社社号標



「城山公園案内図」はこちらで

岸剣神社境内下は郡上八幡城
(別名・積翠城)二の郭跡です。
「濃飛八景・城山公園」碑 城山公園
城山公園に建つ
良妻賢母の誉れ高い
「山内一豊の妻・千代」像
城山公園内に残る、
江戸時代の歴代城主が愛飲した土霊水
郡上八幡城への登り道 「岐阜県史跡・八幡城跡」木標
郡上八幡城 隅櫓と天守閣 郡上八幡城 隅櫓
郡上八幡城の紅葉 城内の小さな神社
郡上八幡城 隅櫓と天守閣 天守閣入口
天守閣を西と東から臨む
郡上市八幡町の町並みと東殿山城跡(前方の山頂部分)
「東殿山城跡」案内はこちらで