日吉神社

郡上市八幡町島谷683(平成20年11月22日)

東経136度57分44.11秒、北緯35度44分40.04秒に鎮座。

 この神社は郡上八幡駅から北へ進み、信号を右折して256号線を東へ進み、枡形地蔵から日の出町の小道を東へ進むと鎮座しています。

 御祭神:大山咋神
 祭礼日:4月第3土・日曜日
 境内社:稲荷神社
 由緒:往古、この地は原野で、西に向いて一小祠がありましたが、その創祀は不詳です。
 天正年中(1573〜1591)遠藤慶隆がこの社に戦捷を祈願し、安久田村日吉社をも勧請合併して社殿を造営し、城南の鎮護としました。慶長5年(1600)関ヶ原の役のおり、遠藤慶隆は赤谷山王へ祈誓しましたが、甲斐なく破れてしまいました。そこで赤谷大宮を悪田に送り、後に本地しました。正保2年(1645)再興され、城主の子孫繁栄祈願がなされ、寛文7年(1667)からは八幡宮祭礼が始められ、城主子孫相続祈願の為、この社が御旅所とされました。
 昭和42年幣拝殿が全焼してしまいましたが、同44年には再建されました。
 4月第3土・日曜日に執り行われる春祭は岸剱神社・日吉神社・八幡神社三社の大神楽(県・重要無形民俗文化財)競演は見ものだそうで、郡上八幡に春の訪れを告げる大事な祭礼です。朝早くから神楽の音が山間の町に響き、両日は街のどこかで神楽が打たれているそうですが、もともとは日吉神社と岸剣神社とで行われていた祭礼を、小野八幡神社も秋祭りを春祭りに変更して三社が一緒に執り行う事となったのだそうです。日吉神社は雄獅子、岸剣神社は女獅子がでて,、日曜日の夜の打ち上げで神社へ戻る獅子の名残惜しげな様、町内の氏子が提灯を持って迎える様は実に情緒ある風景だそうですし、その他八幡神社の豪快な奴踊りなど、見どころ満載のようです。

 県重要無形民俗文化財・日吉神社大神楽について
 起源は不明であるが、嘉永年間(1848〜1854)の『濃北一覧』の御鍬祭の項に、享和2年(1802)と文政11年(1828)の御鍬祭次第が記されて、その中に「両町より神楽獅子舞云々」とあるのは、当社と北町の岸剣神社の大神楽を指すようである。
 獅子舞曲は、上獅子、牡獅子、牝獅子の3曲である。渡御曲は、最も多く用いる十二神楽、岡崎(帰りの曲)、岡崎くずし、ちやぶろい、こすずめ(大内入り以外は演奏されない。)の5曲である。
 また、行列順と人数は次のとおりである。
 露払い(1名)、幟(4名)、警護(2名)、天狗(1名)、出花(1名)、榊持ち(1名)、笛吹き(10名)、鼓打ち(10名小児)、舞子(3名小児)、獅子廻し(6名)、大幣振り(1名)、付太鼓(1名中児)、神楽堂荷役(4名)、市兵衛(1名)、おかめ(1名)、烏天狗(1名)
(「県文化財図録」より)

神社遠景 道路脇に建つ社号標
「金幣社日吉神社」
北西参道入口に建つ台輪鳥居 西参道入口に建つ神門
拝殿前、昭和14年生まれの岡崎現代型狛犬
(昭和14年(1939)4月建立)
拝殿
拝殿内の様子
流造りの本殿
社殿右脇に祀られる稲荷神社
稲荷神社参道脇にいる昭和3年生まれのお狐様
(昭和3年(1928)4月建立)
稲荷神社社殿前にいる昭和17年生まれのお狐様
(昭和17年(1942)3月建立)
石碑 御玉石
社殿左脇に祀られる境内社 境内右隅の神楽用品入蔵?