白山神社
郡上市白鳥町長滝138(平成20年11月22日)
東経136度50分0.97秒、北緯35度55分3.85秒に鎮座。
この神社は長良川鉄道・白山長滝駅すぐ傍に鎮座しています。白山長滝駅前の参道入り口には「天台宗 白山長瀧寺」「表本宮 白山神社」と記された石の寺号標と社号標が建っています。
明治維新以前は白山中宮長滝寺と称していましたが、明治時代の神仏分離令により、長滝白山神社と長瀧寺に分離されました。けれど神仏分離後も長滝白山神社と長滝寺は同一境内にあり、参道から左側が長滝寺、右側が長滝白山神社と取り決められ同じ参道を使って参拝します。
臑まで積もった雪の中、参道にはいると靖国鳥居が建っています。軽いラッセルをしながら参道を進むと、まず昔の坊跡・一乗坊跡の案内があり、ここからは階段。踏み外しそうな感じで怖々と上がっていくと、雪の中に石の太鼓橋、流石に是を上がるのは怖くて脇の参道?かどうかは全然判別がつきませんでしたが、何しろ脇を通って尚も進むと、参道左には護摩壇跡と金剛童子堂や稲荷堂が祀られています。参道左側は長滝寺、という決まり通り、お稲荷様も「稲荷堂」となっています。境内入口には大公孫樹が聳え、この雪の中ご近所のおばあさんが銀杏拾いをしていました。声を掛けると「ここの銀杏は美味しいんですよ。寒いから匂いも少ないし…。」ごもっとも。でも私にはこの寒さは堪えます、いくら好きでもここで銀杏拾いはしたくありません。
境内にはいると流石に白山瀧宝殿前は除雪してありましたが、拝殿前や本殿へはまたまた雪の中をラッセル状態で、私はブーツの中まで雪が入り冷たさがひとしおですし、運動靴の夫は「靴の中はぐちゃぐちゃで冷たさを通り越して足が痛い!」と撮影を諦め、私だけが孤軍奮闘、何とか撮るべき所は撮れたかな?という状態で参拝を終えました。
境内正面には大正時代再建の大きな拝殿、その後ろに長い塀に囲まれそれぞれ神門がある、大将軍社、白山三社(越南智社、白山大御前社、別山社)、若宮社の五社殿が整然と建ち並んでいました。又境内左には長瀧天満宮、児御前社、竃神社が、境内右には稲荷神社、神明神社が祀られ、拝殿左の一段上には長瀧寺や薬師堂、その手前左には弁天社と延年水が有ります。
白山瀧宝殿は休館状態で宝物を拝見できませんでしたし、雪のため行動半径は狭まるし、来年にでも雪解けの時期を見計らって再訪しようと思っています。
御祭神:菊理媛神(白山比盗_・白山権現)、伊弉諾尊、伊弉冉尊
祭礼日:1月1日・元朝祭、1月6日・六日祭(例大祭)花ばい祭・延年舞、2月17日・祈年祭、5月5日・神幸祭(でででん祭)、6月30日・大祓祭、11月23日 新嘗祭(甘酒祭)、
12月31日 大祓祭(追難)
境内社:大将軍社、若宮社、長瀧天満宮、児御前社、竃神社、稲荷神社、神明神社、弁天社
由緒:この社は日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つであり、白山信仰の美濃国側の中心で、社号は白山長滝神社と呼ぶ場合もありますが、宗教法人としての登録名は「白山神社」です。長滝は、霊峰白山を御神体山と仰ぐ白山の南正面道の登拝口に当たり、表日本における白山信仰の拠点で、全国に散在する白山神社の数は総数で
2,716社あり、最も多いのが岐阜県の525社、次に多いのが福井県の421社となっています。
伝承によれば、717年(養老元年)、白山中宮長滝寺として泰澄が創建したとされ、722年(養老6年)には同寺にて元正天皇の病気平癒を祈願して効験があったことから、元正自作の十一面観音、聖観音、阿弥陀如来の本地仏を安置し、白山本地中宮長滝寺に改称したといいます。
828年(天長5年)にはそれまでの法相宗から天台宗寺院へ改宗。833年(天長9年)には白山三馬場の一つになりました(『白山之記』)。馬場とは禅定道の起点のことであり、白山三馬場とは、美濃国の白山中宮長滝寺、加賀国の白山寺白山本宮(現白山比盗_社)、越前国の平泉寺白山神社の事を指します。
平安時代の長滝寺は、白山三所、若宮社、大講堂、鐘楼、護摩堂、神楽殿、三重塔、法華堂、薬師堂など30以上の堂宇が建ち、6谷6院360坊を有していたといわれていますが、1271年(文永8年)、火災により半数の建物を焼失。1290年(正応3年)には本殿が再建されました。
江戸時代には白山嶺上の管理を巡り、美濃馬場の白山本地中宮長滝寺、加賀馬場の白山寺白山本宮、越前馬場の平泉寺との論争が起きています。日本全国の白山神社の半数以上が白山本地中宮長滝寺系統の白山神社であったそうですが、延喜式神名帳に記載されているのは加賀の白山比盗_社のみであるということから、明治時代に白山比盗_社が全国の白山神社の総本社とされ、越前・美濃はその下に位置する地方の白山神社のうちの一つということにされ、越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比盗_社の分霊社というように由諸を書き換えられたという事です。
1868年(慶応4年・明治元年)、神仏分離により、白山中宮長滝寺は長滝白山神社と長瀧寺に分離、白山本地中宮長滝寺の建物のうち、白山三社、拝殿は長滝白山神社となり、大講堂、薬師堂、弁天堂、鐘楼、経蔵などは長滝寺となりました。その後、1899年(明治32年)に火災で社殿を焼失し、現在の建物は大正時代の再建です。
長滝の延年
六日祭りとは、毎年1月6日に白山長滝神社で行われる伝統の祭りです。
「長滝の延年」は国家安穏・五穀豊穣を祈る遊宴芸能で、別名「花奪い祭」とも呼ばれ、延年の舞の途中から、参拝客らが肩を組み、高さ約6メートルの天井から吊るされた花を奪い合います。この花を持ち帰ると豊作・家内安全・商売繁盛になるといわれています。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
「江戸時代・明治時代・現代の長滝白山神社の境内図」はこちらで
長良川鉄道・白山長滝駅は白山長瀧神社の参道入り口となっています。 |
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社号標
「表本宮白山神社」 |
駅からの参道 |
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神社入口 |
参道に建つ靖国鳥居 |
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参道の様子 |
一乗坊跡 |
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太鼓橋 |
参道の様子 |
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参道左にある護摩壇跡と金剛童子堂 |
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参道左にある稲荷堂 |
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境内入口 |
境内入口の大公孫樹 |
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境内の様子 |
重要文化財正安4年(1302)奉納の石燈籠
願主伝燈大法・師覚海の刻銘が有ります。 |
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境内にいる岡崎現代型狛犬 |
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拝殿 |
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拝殿内の様子 |
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整然と並んだ本殿など五社殿
左から大将軍社、白山三社(越南智社、白山大御前社、別山社)、若宮社 |
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一番左に祀られる大将軍社 |
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左から二番目に祀られる越南智社 |
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中央に祀られる白山大御前社 |
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右から二番目に祀られる別山社 |
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一番右に祀られる若宮社 |
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境内左に祀られる長瀧天満宮 |
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境内左に祀られる児御前社 |
境内左に祀られる竃神社 |
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境内右に祀られる稲荷神社 |
境内右に祀られる神明神社 |
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長瀧寺左に祀られる弁天社と延年水 |
境内右に聳える薄墨桜実生木と大杉 |
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長瀧寺 |
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薬師堂 |
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白山瀧宝殿内の宝物(境内案内板より) |
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