円空神社

郡上市美並町高砂(平成20年11月23日)

東経136度54分57.65秒、北緯35度39分54.25秒に鎮座。

この神社は、星宮神社へと向かう粥川谷に沿った315号線を行くと右手に星宮神社駐車場が見えてきます。その駐車場の西側外れに鎮座しております。由緒書は無く詳細は不明ですが、ここ美並は生涯に12万体もの仏像を刻んだと言われる、円空上人のふるさと。偉大な円空を祀った神社かと思われます。天台宗僧侶だった円空を神社で神として祀るのは少々間違っているような気もしますが、神仏習合が色濃く残る、この地ならば何の問題も無いと思います。

神社全景

円空仏のレプリカが並んでいます。

手水鉢

岩の上に小さな祠が建っています。

小さな小さな円空さん

円空-その人と生涯。
寛永9年(1632〉の生誕から、元禄8年(1695)関の弥勒寺に入定するまで、円空の生涯は謎に包まれています。出生の地でさえ、現在の羽島市とも、美並村ともいわれ諸説さまざま。わかっているのは、ノミとナタを手に全国を行脚し、苛酷な封建社会に苦しむ民衆に仏の教えを説きながら、およそ12万体にも及ぶ仏像を彫り続けてきたことだけです。なぜふるさとを離れたのでしょう。なぜ仏像を彫ったのでしょう。親しげな微笑みを浮かべる円空仏に、そっとたずねてみてください。もしかしたら、答えがみつかるかもしれません。

嘉永9年(1632)
1歳
美濃国に生まれる。生地については現在の羽島市とも、美並村とも言われている。俗名不詳。
承応3年(1654)
23歳
この年、某寺を出遁したと伝えられる。
寛文3年(1663)
32歳
美濃国郡上郡根村神明神社の天照星大神像、阿賀田大権現像を造立。
寛文4年(1664)
33歳
9月、同郡福野村白山神社の阿弥陀如来像を造立。
12月、同郡勝原村子安神社の阿弥陀如来像を造立。
寛文6年(1666)
35歳
1月26日、津軽藩弘前城下を追われ、松前に向かう。
6月、蝦夷が島で聖観音像を造立。
寛文9年(1669)
38歳
10月18日、美濃国武儀郡雁曽礼村白山神社の白山三尊像を造立。
尾張国上野村薬師堂で十二神将等を造立。
寛文10年(1670)
39歳
11月、美濃国郡上郡黒路村神明神社の天照皇大神像を造立。
寛文11年(1671)
40歳
6月、同郡半才村八坂神社の牛頭天王像を造立。
美濃国武儀郡菅谷村の不動明王像を造立。
延宝2年(1674)
43歳
6月、志摩国英虞郡で大般若経六百巻の修復にかかる。8月、修復を了える。
延宝3年(1675)
44歳
11月、大和国金峯山寺にて役行者像を刻む。
延宝4年(1676)
45歳
尾張国龍泉寺において馬頭観音像を造立。
12月、尾張国荒子村観音寺に「両頭愛染法」を書き残す。
延宝7年(1679)
48歳
6月、美濃国郡上郡千寅滝にて、白山権現より神託を受けた旨を仏像背面に記す。
護法神像を刻み、近江国の座右寺に納める。
天和2年(1682)
51歳
9月、下野国日光の円観坊で千手観音像を造立。
貞享元年(1684)
53歳
春、美濃国武儀郡高賀神社にて、「貞享甲子三光春」等の漢詩を作る。
貞享3年(1686)
55歳
1月、美濃国中島郡狐穴村稲荷神社のご神体を造立。
3月、飛騨国板殿村において不動明王像を造立。
6月、信濃国三留野村において天神像を造立。
8月、同村等覚寺の弁財天・十五童子像を造立。
元禄2年(1689)
58歳
3月、近江国伊吹山太平寺仲之坊にて十一面観童像を造立。
6月、下野国日光の明覚院にて聖観音像を造立。
8月、自らの再建した美濃国武儀郡池尻村の龍華山弥勒寺が、園城寺霊鷲院兼日光院末寺に召し加えられる。
元禄3年(1690)
59歳
9月、飛騨国木戸村観音堂の今上皇帝像を造立。
元禄4年(1691)
60歳
1月、歌集「熱田太神官金淵龍玉春遊に」をあらわす。
4月、「上淵飛州」と背銘のある青面金剛像を造立。
同月、飛騨国小川村において青面金剛像を造立。
元禄5年(1692)
61歳
4月、美濃国武儀郡高賀神社において龍神を感見。
この年、飛騨国半田村の渡辺市兵衛宅に滞留。
元禄8年(1695)
64歳
7月15日、美濃国武儀郡池尻の弥勒寺において没する。

「棚橋一晃編」より抜粋

以上円空ふるさと館のパンフレットより。

円空ゆかり地が他にもあるようです。季節の良い時散策するのも悪く無いようです。