天満宮

岐阜市忠節町4(平成20年11月24日)

東経136度45分16.38秒、北緯35度25分30.54秒に鎮座。

 この神社は忠節橋南詰め東に鎮座しています。社号標には「天満宮」、鳥居の額には「天神神社」とありますが、私達は社号標の社名をとり、「天満宮」としました。
 入口の明神鳥居から真っ直ぐ正面に拝殿が見え、良く手入れされた参道を歩いていくと、左手に忠節公民館、社務所が建ち、玉垣の向こうに狛犬がおり、拝殿・幣拝殿・本殿と順に建ち並んでいます。拝殿と本殿の間にも狛犬が奉納され、本殿縁にも陶器製の狛犬が居ました。

 御祭神:菅原道真公
 由緒:加賀出身の斉藤親頼が美濃国の目代に任ぜられ承久2年(1220)厚見群今泉村に社殿を造営したのが起源といわれています。県内の天神神社でも最も古く、北野天神、八ツ梅天神、西野天神とも呼ばれていました。
 その後も斉藤家の子孫は、この社の再宮や創建に尽くし、嘉吉3年(1443)に斉藤利藤が社殿を再造営寄進しています。その後天文3年(1534)の長良川大洪水、天文13年(1544)織田信秀と斉藤道三との戦火、永禄7年(1565)の織田信長と斉藤龍興との戦火により、社殿等が流出、焼失しましたが、土岐家の家臣一柳氏が社殿を再建しました
 明治35年〜明治36年には、現在地に土地を購入、社殿を造営しました。それまでは、西別院の西側に社があり、現在の天神町の名前は、その名残りと思われます。
 昭和20年の岐阜空襲により拝殿や社務所等も類焼し、縁起等の文書も焼失しましたが、その後改修されています。

社号標 神社入口
境内の様子
拝殿前、昭和3年生まれの狛犬
やや吊り目で口髭があり、体の瘤や鬣・尾の渦が大きい装飾の派手な狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(御大典祈念 昭和3年(1928)建立)
拝殿
拝殿と本殿の間にいる狛犬
鋭い顔つきで痩せ形の凛々しい狛犬です。遠くて良く見えなかったのですが、丁寧な良い造りの狛犬のように見えます。
本殿
本殿縁にいる陶器製狛犬
右側の阿しか見ることが出来ませんが、角があり目鼻が大きい狛犬で、釉薬がかけられています。