赤口(しゃっこう)神社

岐阜市本郷町2-12(平成20年11月24日)

東経136度45分9.91秒、北緯35度25分5.51秒に鎮座。

 この神社は本郷小学校の南東すぐに鎮座しています。この社は珍しく境内入口に賽銭箱が置かれています。鳥居を潜り境内にはいるとすぐ左に社名不明の境内社が祀られ、参道正面に拝殿、その後に狛犬が護る本殿が、覆い屋と金網に保護されて建立されています。その左側にも境内社が祀られています。

 御祭神:不詳
 由緒:後奈良天皇の御代、室町時代末期の天文3年(1534)長良川筋が未曾有の大洪水のため小熊野神社付近で堤防が大決壊し、濁流は下流の諸村落を呑み込むとともに、先端は伊勢湾にまで達し、岐阜〜桑名間を帆掛け船が往来するといった事態となりました。
 その際、今泉村地内に一宇の祠が漂着し、村人はこれを下流に押し流しましたが、翌朝来てみると不思議にも元の岸辺に戻っており、これはこの地に留まろうという神慮であろうと、近くの地に安置したのがこの社の起源です。
 その後近所の老婆がたまたま病の平癒を祈願したところあらたかな効験があり、この事をきっかけに次第に人々の信心を集め、村の中心地の本郷に奉遷して、何時しか「オシャコウサマ」と呼び、氏神として崇敬されるようになりました。
 明治7年「オシャコウサマ」を社宮大神を御祭神に、本郷在住者を氏子とする「赤口神社」として国の承認を得、例祭・元旦祭など現代に続く諸神事を執り行うことになりました。
 明治22年、今泉村が岐阜市制へ参加すると、村民は赤口神社の氏子を含めすべてが伊奈波神社氏子に組み入れられる事になりました。赤口神社は民間信仰から始まったいわば土着の神であり、「イニシキイリヒコノミコト」を主祭神とする伊奈波神社とは全く無関係でしたが、氏子の切り替え問題に配慮し、以後岐阜祭りに伊奈波大神が3年毎(現在は毎年)に渡御される運びとなりました。
 昭和20年7月の岐阜大空襲で社殿の全てを失いましたが、関係者の努力により、昭和24年12月再建され現在に至っています。なお一般には「セキグチ」神社と呼ばれていますが、「シャッコウ」神社が正式名称です。

「赤口神社縁起」はこちらで

社号標 社頭
拝殿
拝殿屋根上の飛び狛さん
拝殿と本殿の間にいる岡崎現代型狛犬
(大正15年(1926)3月建立)
本殿、側面と正面
本殿脇の境内社 入口脇の境内社