本荘神社

岐阜市敷島町9-24(平成20年11月24日)

東経136度44分5.82秒、北緯35度24分16.6秒に鎮座。

 この神社は東海道本線線路脇に入口があります。
 ここには社号標が建ち、広い参道が続きますが参道途中に建つ明神鳥居の先で参道は道路に分断されています。道路を挟んで境内入口左には社号標「銀幣社本荘神社」が建ち、大きなご神木も聳えています。拝殿前には献燈台が設えられ、拝殿前後ろに回ると、高い石垣の上に神門があり玉垣内に幣拝殿・本殿が建立されています。

 御祭神:素盞鳴尊
 例祭日:4月5日
 由緒:創建は第66代一条天皇の御代長徳年間(995〜999)といわれています。この地域は、平安時代は美濃国厚見郡平田荘といい、長講堂(後白河法皇ゆかりの寺院)の荘園であったといいます。
 美濃国神名帳によると、美濃国厚見郡18社の内、正6位上楡賀保明神とあり、牛頭天王と称し旧本荘村東部に鎮座していましたが、永禄年間(1558〜1570)岐阜の乱の時、織田信長の子信雄が、岐阜城攻防の戦火を避けるため現在地に奉遷しましたが、この時1つの神社であったのが、八雲神社(西ノ荘。現・岐阜市西荘)、本荘神社(本荘。現・岐阜市敷島町)、六条神社(三里。現・岐阜市六条北)の三社に分霊されました。3つの神社は、それぞれ八岐大蛇の頭、胴体、尾を表しているそうです。
 往昔には宇佐・清共に総氏子でしたが、慶長年間(1596〜1615)の頃より本荘・清二村の総社とされ、江戸中期には鳥屋神社と称していたのを本荘神社と改称しました。
 明治6年(1873)郷社となり、以後本荘村一村の産土神となりました。昭和6年(1931)、稲葉郡本荘村は岐阜市に編入され、このさい、例祭を岐阜まつり(伊奈波神社の例祭)に合わせて4月5日に変更しました。
 昭和54年(1989)9月、銀幣社に指定されました。

本荘神社公式サイトはこちら

社頭 社号標
参道の様子 参道途中に建つ明神鳥居
ここから先で参道は道路に分断されています。
境内入口左に建つ社号標
「銀幣社本荘神社」
境内入口
拝殿
本殿石垣 本殿への神門
幣拝殿脇にいる狛犬
神門から幣拝殿・本殿を臨む