伊富岐(いぶき)神社

不破郡垂井町伊吹1484-1(平成20年3月29日)

東経136度29分54.06秒、北緯35度22分23.92秒に鎮座。

【狛犬情報・沼波定治様より】
 私の家内が不破郡関ヶ原町野上の出で、隣部落の垂井町伊吹に立派な神社があり、子供の頃によく遊んでいたようでございますが、先般、墓参に参りました時に参拝して参りましたので、資料をお送り申し上げます。
 その神社は「式内、懸社伊富岐神社」とあり、一の鳥居に御昇格記念と刻まれており、御昇格記念の石碑もあり、石柱に「懸」の文字がはめ込まれておりましたので、村社から懸社に昇格することは考えらず、元は郷社であったものが大正7年6月に懸社に昇格したものと存じます。
 また、「式内」とありましたので延喜式神名帳に記載されていた由緒ある神社と存じます。
 鳥居も元は木製の鳥居であったと思われ、木製の鳥居の棟木が残されております。

 御祭神:多多美彦命
 例祭日:4月2日
 由緒:式内社で美濃国二宮、旧社格は縣社です。社殿は東南東を向き、伊吹山を背後にした形で造られています。
 創建は不詳ですが、和銅6年(713)には存在したといいます。
 この社では、古代この地域に勢力があった伊福氏の祖神を祀っているといわれていますが、御祭神ははっきりせず、多多美彦命(夷服岳神、気吹男神、伊富岐神ともいう 伊吹山の神)、八岐大蛇(日本武尊が伊吹山の荒神が化した大蛇と遭遇し、その大蛇を出雲伝説の八岐大蛇とした)、天火明命(伊福部氏は、尾張連と同祖で天火明命の末裔なので、その祖神を祀っている) 、草葦不合尊など、諸説があります。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで社殿は焼失してしまいましたが、寛永13年(1636)再建されています。
 毎年4月第二日曜日に奉納されている神楽は、天明7年(1787)に豊作を祈念して始まったものです。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)

神社入口の一の鳥居 一の鳥居の社額
参道の社号標
「式内縣社 伊富岐神社」
境内の様子
境内にいる建立年代不明の狛犬
旧二の鳥居の笠木と島木
二の鳥居は木製の両部鳥居のため
腐食が進み朽ちてしまった…との事です。
旧社務所
拝殿前 大正7年生まれの岡崎現代型狛犬
(大正7年(1918)6月建立)
唐破風付きの豪華な拝殿
朱の屋根が緑に映える幣拝殿と本殿
透かし塀内の右脇宮(向かって左) 透かし塀内の左脇宮(向かって右)
左右の脇宮には、天火明命の御子神の
一御子・天香語山命、二御子・天村雲命、三御子・天忍人命、
四御子・天戸目命、五御子・建斗米命、六御子・建田背命、
七御子・建諸隅命、八御子・倭得玉彦命、九御子・若都保命
が祀られています。
境内入口左手の境内社 趣ある石の灯籠
大正7年(1918)6月建立
拝殿に向かって左側 県指定天然記念物・ご神木の大杉
伝承では、関ケ原の戦いの時社殿は兵火に罹りましたが、
御神体は幹の分れたところに安置してあったので安泰であったと伝えられる
樹齢300年以上、根元の周囲約9.6m、
目通り約6.6m、高さ約30mの杉の木です。

 

嘗て、関ケ原の戦いの時この社の社殿は兵火に罹りましたが、
此処より南西約1.5kmに「関ケ原の戦い」縁の「徳川家康最初陣跡・桃配山」
入口があります。