安八郡神戸町神戸1 (平成17年3月20日)
東経136度36分26.16秒、北緯35度25分19.30秒に鎮座。![]()
この神社は、養老鉄道・広神戸駅の北北東700m程の辺り、神戸の街中に鎮座しております。
正式には日吉神社上宮(かみのみや)といい、弘仁8年(817)伝教大師・最澄が創建された神社です。現在でも神仏混合のなごりを色濃く残しており、境内の三重塔、本殿内の十一面観音および地蔵菩薩像は国重文です。
毎年5月3日〜4日に7基の神輿が松明に守られ、琵琶湖になぞらえて設けられた川を渡り、神前に進むという豪快な火まつり神事「神戸山王まつり」 が行われます。
此処は三重の塔が残っていたり本殿内に仏様が安置されていたりと不思議な神社ですが、広い社域全てが濃い社叢に囲まれ、狛犬としては非常に珍しく国の重要文化財に指定されている天正5年(1577)不破河内守公奉献の狛犬のレプリカが見られたり、全てが檜皮葺き流れ造りの社殿であったりと私の中の『今回の一押しの神社』となりました。
御祭神 大山咋神・大貴己神
由緒
近鉄養老線の広神戸駅の北東に鎮座する。旧県社。弘仁8年(817)最澄が近江日吉神社の大宮、二宮、宇佐宮、樹下宮の四社を勧請して創建。貞願2年(860)円仁が客人宮、牛尾宮、三宮の三社を追斎し、延暦寺が本社と同じに崇敬する基をかためたと伝えられる。一説には、最澄に帰依した郡領安八大夫安次が勧請したものという。このとき、最澄は神像四躰。円仁が神像三躰を彫刻し、所謂三王七社が揃った。当社は、中世の延暦寺領平野庄の中心に位置していたこともあって、庄園支配地の崇敬を集め勧請されたのであろう。御祭神は、本宮は大巳貴命を主神とし、二宮は大山咋命、宇佐宮は瑞津比売命、樹下宮は鴨玉依比売命、客人宮は白山比売命、牛尾宮は大山咋命荒霊、三宮は鴨玉依比売命荒霊を奉斎し、併せて白鳥他土合殿には、地主神に倭武尊、天津日子根命、昭和24年に招魂社を奉斎する。当社の祭礼は、神戸山王まつりと称し、神輿七基を担いで川を渡る昼渡御、朝渡御、還渡御の三回の疾走がある。この神輿および百八灯明台は県指定重要有形民族文化財である。尚、当社には国、県、町指定の重要建造物や文化財を収蔵する。
岐阜県神社庁公式サイト より。
弘仁8年(817)最澄(伝教大師)は東国へ天台宗を広めるため、神戸の地に立ち寄った。このとき最澄は、神戸附近を治めていた安八大夫安次の願いにより善学院を建て、また、近江(滋賀県)坂本の山王社をおうけしいて、日吉神社が建てられたといわれている。日吉神社というのは、次の七つのお宮全体をいうのである。
日吉大宮・日吉二の宮・日吉宇佐の宮・日吉樹下の宮・日吉牛尾の宮・日吉客人の宮・日吉三ノ宮
5月3・4日に行われる山王祭りに担がれる神輿は、七つのお宮の神様をお乗せするものである。
日吉神社がきたころは、神と仏は一体であると説かれていたから、国の重要文化財の三重塔・十一面観世音菩薩像・地蔵菩薩像や、その他の仏教関係のものが神社に残っている。
境内由緒書き より。
参道入口
本殿の狛犬を模倣または意識して造られたのか、製造年代から見ると明らかに古い形態をなしている。
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(大正4年(1915)4月建立)
拝殿
本殿と摂社
本殿は、1630年尾州候の寄進によるもので、県の重要文化財に指定されています。
本殿の左右に建ち並ぶ摂社4社。何れも檜皮葺き流れ造りの屋根が美しい曲線を見せている。
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不破河内守光治公が造立した天正狛犬のレプリカ。拡大写真はこちら。
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(天正5年(1577)丁丑5月吉日建立)
境内の狛犬
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招魂社
招魂社を護る狛犬
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亀殿神社・大物志神社
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日吉牛尾之宮
三重の塔(国重要文化財) 永正年間斎藤利綱が建立し、天正13年(1585)稲葉一鉄が修造したもの。