今泉神社

田村市船引町今泉砂田275 (令和6年4月27日)

東経140度36分28.00秒、北緯37度25分18.27秒に鎮座。

この神社は、JR磐越東線・磐城常葉駅の北500m程の辺り、船引町今泉の薄い街中に鎮座しております。

御祭神 武甕槌大神

由緒
当社は武甕槌大神を奉斎し霊験新かにして氏子繁昌悪魔消除武神として皆人の知るところなり。その由来を尋ねるに50代桓武天皇の延暦年間に奥州に子島多鬼麿という逆臣、数万の党類を催し旧城を侵さんとせし先鋒は既に常陸国に乱入。頻りに天聴脅かしたれば従四位御霊李坂上刈田丸の子田村麿に追討の勅を賜えしかぞ、即ち刈田丸に下向う折柄道に賊党合戦し、遂に高野原に迫りここにこもり陳居退治し評定数日に及べり。これより大滝根岩屋迄は山茂り茨の道開きし他の山岳なり。諸卒くっして困為をみける田村麿は采をふり遙に下向う甲斐空しく帰落するの他なきなり。遵々下知せり諸卒之にて勇気百倍し藤に伝え岩角に取りつき追討。多鬼麿は頻りに応戦、難戦に陥り如何ともしがたく気をもみ息をもつがず、戦いけり。賊はついに散乱す、しかれども暑中の事ゆい喉は乾き息ははずむ。沢辺の水をのまんとしけるに賊は毒を流して飲むことあたわず、この時田村麿は武甕槌大神を祈り我を助けたまえしと念じ岩間を穿ちければ湧きいずるは甘露の酒なり。諸卒これを飲み一気を得て賊を一時におい崩し、平定の砌大神の霊験にてここに御社を建立ありたりと伝えられる。正中2年(1325)新田市正藤原秀光に命じ里方より此の地に勧請。今は田地開墾をなせりと聞伝う。甘露の酒は諸民飲む水なり、その昔申せし酒は今は泉にして今泉と命名。村名となせりせしとか、御神徳の難ある汁なり。古昔は田村家より社領の寄進等ありたるも没落に及びて社領も焼失せりしとぞ。右は明治8年(1875)三春藩庁に提出せる本文の写しである。
境内由緒書き より。

参道入口

鳥居

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和26年(1951)2月22日建立)

参道

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬

(昭和63年(1988)1月吉日建立)

拝殿内部

本殿覆屋


御假殿

水天宮鳥居

水天宮社殿