丹羽長重霊廟

白河市円明寺(平成16年4月24日)

織田家重臣・丹羽長秀の長男。母は織田信広(織田信長の異母兄)の娘。岐阜生まれ。
 1583年の賤ケ岳の戦いで戦功があり、1584年の小牧・長久手の戦いでは北陸を離れられない父に代わって出陣している。1585年4月16日に長秀が死亡すると、越前・若狭・加賀140万石を継ぐ。が、その後秀吉に難癖をつけられ、若狭を召し上げられ加賀松任に4万石だけを与えられた。秀吉も天下を取るまでは散々長秀のお世話になったのだが、その息子には遠慮する必要はなかったのであろう。
 その後徳川家康の時代10万石の大名に返り咲いたものの小峰城を造らせられた後、わずか二代で陸奥・二本松に追いやられるという「天下人の犠牲になった人」か。
 後の白河人がせめてものねぎらいにこの霊廟を作ったのでしょう。

小ぶりですが丁寧に作られています。

廟入口

丹羽長重の墓