鹿嶋神社

白河市大鹿島34 (平成30年10月19日)

東経140度14分23.39秒、北緯37度07分10.78秒に鎮座。

【神社情報・Rumarin&Saiseiさんより】
白河駅の南東約2km、県道11号から阿武隈川にかかる鹿島橋を渡るとすぐに左手に神社入口の看板があります

御祭神 武甕槌命

由緒
一の鳥居をくぐって一直線に長く延びた参道を歩いていくと、まず四対の昭和初期狛犬、次に二の鳥居と大きな江戸狛犬、さらに大きな神池、そこにかかる太鼓橋を渡ると大きな門があり、これをくぐるとようやく拝殿が登場します。
このように拝殿まで参道を歩いただけで、参拝前から満足感が味わえる神社です。樹々に囲まれた広い境内には鹿嶋の社殿の他に一摂社と五末社、神仏混淆の名残の二堂があり、これらを全て参ることを「鹿嶋七福神と二堂まいり」と呼んでいるようです。境内案内図はこちら。
この神社のさらなる特徴は、上にも記した参道の五対と、拝殿前の二対、神池の西側の金比羅神社の一対の合計八対の狛犬がいることです。それらは老若大小、姿形もさまざまです。
「日本三鹿島」の一社だそうですがインターネットで検索してもこの神社以外にこれを名乗る神社が出てきません。(自称でしょうか?)
たしかに、今まで訪れた鹿島神社の中では、鹿島神宮に次ぐ立派さでした。また、祭礼の一つである白河提灯まつりは「日本三大提灯まつり」の一つだそうで、パンフレットにも弥彦神社の灯籠祭りと一色諏訪神社の大提灯祭りと共に書いてありました。ただし、よく言われる三大稲荷と同じく、どの三つが三大なのかは全国各地で違うようです。

◆鹿嶋神社のパンフレットに書いてあった由緒です◆
宝亀年間(770〜780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大名神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳(成立927年)にのこる式内社でもあります。その後も歴代城主の尊崇あつく、城主自ら奉幣、参籠し、祭田や社殿の寄進もありました。
文明13年(1481)時の城主小峯政朝が神社において一万句奉納の連歌会をおこないました。著名の連歌師宗祗が西国からはるばるこの地にやって来たのも、この会に出るためでした。このことは、当時の白河地方の文化が相当高い水準だったことを示しています。
文化3年(1783)松平大和守により『鹿嶋大神宮』の額が、また大正14年(1925)海軍元帥東郷平八郎により『鹿島宮』の額が奉納されています。この両額は今も神社の正面に掲げられています。寛政7年(1796)には松平定信公より『楯無しのよろい』(市文化財)も奉納されています。
明治43年(1910)不幸にして火災にあい、建造物、備品のほとんどを焼失しましたが、大正元年(1912)再建され、現在に至っています。また、古来より歌枕にある転寝の森(うたたねのもり)は、当神社の飛地境内で、東へ300m程のところにあります。

鹿嶋神社公式サイトはこちら。

参道入口

参道左右の福島型狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和4年(1929)1月吉日建立)

参道左右の福島型狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和4年(1929)10月2日建立)

参道

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和8年(1933)9月13日建立)

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

参道

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(文政11年(1828)戊子12月吉祥日建立)

参道

太鼓橋

神門

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(石工 双石村 伊右衛門 慶応2年(1866)丙寅5月建立)

拝殿内部

本殿


金刀比羅神社。御祭神:大物主神

金刀比羅神社を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

松尾神社。御祭神:大山咋神・中津島姫命

稲荷神社・神明神社・天神神社

弥勒堂

弥勒菩薩

観音堂

観音菩薩

磐座