磐椅神社

耶麻郡猪苗代町字西峯6199(平成16年7月18日)

延喜式内勅祀社(旧県社)
祭神 大山祇命 埴山姫命
相殿 誉田和気命 息長足姫命
祭日 例大祭10月10日 春祭5月14,5日
由緒
 当社は延喜式内勅祀社にして応神天皇の御代、神功皇后摂政の時、武内大臣の巡視のみぎり勅命を奉じ、国土開発の神なる大山祇命、埴山姫命を磐梯山の嶺に奉斎す。又元明天皇の御代、和銅年間の草創ともいわれる。聖武天皇の御代、天平元年8月25日、見祢山南麓に遷座し相殿として誉田和気命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を配祀す。平城天皇の御代、大同元年夏、万代山破裂により社殿損障によって、嵯峨天皇の御代、弘仁4年、御造営される、文徳天皇の御代、斎衡3年正月陸奥国、石椅神「加従四位下」と文徳実録に見ゆる。この神号、磐椅、岩椅、石椅に作りしを、明治2年、民生局より、磐椅(いわはし)との旨通達あって改む。村上天皇の御代、天暦元年、勅旨御差遣あり、由来を尋ねありし時、宸翰物及び桜樹を奉献せられ社殿修復、奉幣の儀あり、この際の桜を大鹿桜と称す。土御門天皇の御代元久2年、猪苗代城主、三浦経連、社領八千余町の寄進あり、次いで承元元年夏、現在の所に御遷座され杉を植え、此れを鳥居杉と称す、承久年間には三浦盛常二千三百町を寄進あり。伏見天皇の御代、正応年中、藤原氏の女、御皇威の衰へ給へるを痛く歎き、私に神功皇后、応神天皇の御影を鋳せられ神鏡金銀の幣額等を添えて永仁3年密使を以って奉献せらる。寛文年中保科正之公社殿の御造営あり、ェ保3年閏4月12日正一位の神階を授奉せらる。会津磐梯山は父なる山で母なる会津の里に豊作をもたらす神として、人々の信仰のよりどころであり磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の神社で、磐椅明神、峰明神として信仰されている。
昭和61年5月15日 宮司 伊藤政則

神社の前に磐梯山のご神水が湧き出ており、それをペットボトルに汲んでいるうちに写真を撮り忘れました。申し訳ありません。

拝殿正面