水天宮

郡山市久留米3(平成17年10月10日)

この神社は郡山駅の南西約3.7km、久留米3丁目の開墾資料館傍に鎮座しています。郡山市の発展の礎は、明治初期の「安積開拓」と「安積疏水の開さく事業」にあり、その中でも、旧久留米藩士が全国9藩の先陣として、刀を鍬に持ち替え入植した歴史をもっています。その旧久留米藩の士族が入植した地がここ久留米地区で、当時の入植者の営みは厳しく、心のよりどころとして、また、団結の場所として、郷里の神社の分霊を祀ったのがこの水天宮です。現在もその姿は変わらず、地域のシンボルとして守られているそうです。その御本社の久留米水天宮は壇ノ浦の合戦で安徳天皇は海に沈んだとみせかけて、建礼門院、二位の尼とともに、筑後に逃れてきましたが、この地で安徳天皇が崩御。付き従ってきた女官按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ・後に千代と改名)が筑後川河畔の鷺野に水天宮を祀ったのが始まりであると云われており、御祭神は天之御中主神、安徳天皇、建礼門院、二位の尼の四柱です。今でも壇ノ浦の戦いで散った幼い安徳天皇を偲び叩いた軍鼓が由来という「水天宮船太鼓」が伝承されています。

社号標

参道の様子

参道の台輪鳥居

境内入り口

境内の屋根付き両部鳥居

拝殿

本殿

境内の様子

清潔感溢れるとても気持ちの良い神社でした。