鹿嶋神社

郡山市片平町白萱(平成17年10月10日)

この神社は郡山駅の北西約6.3km、鹿嶋池のすぐ北側に鎮座しています。入り口からは湖面に映った対岸の様子が、嘗めるように静かな水面に映り、のんびりと釣り糸を垂れる人もいて、まるで昔の映画の一場面を見ているような、そんな長閑な環境の中の神社です。創建は分かりませんが境内の入り口には驚くほどたくさんの末社か合祀社が並んでいました。拝殿内の扁額も「鹿嶋神社」と並んで「片平神社」というのもありました。これはこの神社がよほど由緒のある神社か、明治以前にはこの辺りにたくさんの小さな神社が存在していた…ということなのでしょうか?御祭神は武甕槌命と思われます。

神社前面の鹿島池

神社入り口

境内入り口の末社群

月読命の文字碑

天照皇大神

拝殿

拝殿内の様子

本殿

境内の様子

神楽殿

『ヨッシーの神社豆辞典』
御祭神の武甕槌(タケミカヅチ)命とはどんな神様なのでしょうか?
日本神話に於いて、伊弊諾(イザナギ)尊が、火の神であったために出産時に伊弉冉(イザナミ)尊の陰部に火傷をさせ、これがもとで伊弉冉尊が死んでしまった事に腹を立て、実子である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の首を切り落とした際、十拳剣「天之尾羽張」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱です。葦原中国平定において天鳥船神とともに葦原中国の荒ぶる神々を制圧し、建御名方神との戦いに勝利し、葦原中国を平定した。建御名方神との死闘は相撲の起源とされています。名前の「ミカヅチ」は雷のことで、雷神は剣の神様でもあります。元々は鹿島の土着神で海上交通の神として信仰されていましたが、大和朝廷の東国進出に伴い鹿島の重要性は増し、又祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神こと武甕槌命を信奉していたことから、武甕槌命が大和朝廷にとって重要視されることになりました。平城京に春日大社(奈良県奈良市)が造られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神としました。(フリー百科事典『ウィキペディア』参照)