愛宕神社

郡山市清水台2(平成17年10月10日)

この神社は駅前通りを西に進み、4号線を北へまがってすぐ左に鎮座しています。境内は小高い丘になっており、神社一帯を「愛宕山」と呼んでいます。神社の入口は、国道4号に面した騒々しい場所ですが、境内の中はひっそりとした静寂が訪れたものを包み込みます。創建は元禄二年(1689年)。御祭神は火の神といわれる 軻遇土神(かぐつちのかみ)です。往古は境内より望む秋の月が美しく、「愛宕山の秋の月」と言われ、名勝となっていたそうです。境内社に妻恋稲荷(めっけ稲荷)があり、その由来は赤穂浪士の物語につながるといわれています。詳しくは下記にてどうぞ。

(昭和18年12月建立)

妻恋稲荷(めっけ稲荷)
 昔、清水台のお稲荷様は江戸の吉良上野介の屋敷に祀ってあり、妻恋稲荷と呼ばれていました。そのころ、郡山の呉服屋に生まれた石塚彦宗という武士は、吉良の家来の1人として江戸屋敷に住んでいました。この男はかねてから信心深く、毎日この稲荷様にお祈りしていました。
 元禄14年の暮れ、突然、大石良雄ら47人の義士が屋敷をおそい、石塚も傷を受けて、体をひきずりながら屋敷の外へ逃れました。ここで倒れたら死ぬばかりと懸命に気をはっていましたが、だれも助けには来ず、とうとう気が遠くなってしまったのです。 そのとき、耳の側で「ここにいては助かるまい。お前の故郷まで連れて行ってやろう」と声がするのでハッと驚いて見ると、大きな狐が自分に背中を向けて、ここへ乗れというようなふりをしています。「さては、日ごろ信心する稲荷様が、この狐をよこしてくださったのか」と恐る恐るその背中にまたがると、狐はまるで鳥のように雲の上を飛んでいきました。 やがて地上について降りてみると、そこはまぎれもない自分の生家の前でした。そして、狐の姿は既に見えなくなっていました。
 ゆっくりと傷を癒した石塚は、そのまま刀を捨て、呉服屋の商売に精を出し、命を助けてもらった恩を忘れられず、清水台の愛宕神社の脇にお社を造って、江戸の吉良邸にある妻恋稲荷を勧請して祀ったのだといいます。
 土地の人々は、このお社をめこう神社、またはめっけ神社といっているそうです。
( 『郡山の伝説』参照)

神社入り口

社号標

参道途中の靖国鳥居

もうすぐ境内です

招魂社系というかライオン系の狛犬。牙の白さが目立ちます。戦争中に制作された狛犬のせいか、人を威嚇する強い意志を感じます。筋肉質で力強い狛犬です。

拝殿

挙鼻の龍が迫力満点

木鼻狛犬も良い造りです

木鼻の象は牙に鼻を巻いています

本殿

自分の具合の悪いところをさすると
治るという「身代わり大黒様」

境内社・妻恋稲荷(めっけ稲荷)

妻恋稲荷社殿

境内には古木がたくさん聳えています。
こういう大木の傍に行くと心落ち着く空間が形成されている気がします。