多田野本(ただのもと)神社

郡山市逢瀬町多田野宮南66 (令和6年4月29日)

東経140度16分29.22秒、北緯37度23分37.25秒に鎮座。

この神社は、東北自動車道・郡山中央ICの西南西3km程の辺り、宮南の街中に鎮座しております。

御祭神 火之夜芸速男神・鎌倉権五郎景正

由緒
詳しい創建年代は不明。物見ケ岳に火の神を祀ったのが始まりで、その後、山中から現在地に遷座したと伝えられる。
逢瀬町は河内源氏が本拠地とした河内国の余野川周辺に地形が似ていることから、それにまつわる地名が各地に名づけられたとされ、逢瀬町には逢瀬川を挟んで河内(こうず)と多田野(多田野本神社)があるが、これは河内国と余野川を挟んでその西側にある摂津国の多田院や多田神社の位置関係にあたるとみる説がある。
1143年(康治2年)、源義家の家臣鎌倉権五郎景政が東北征伐の際にこの地に住んでいた盗賊や大蛇をことごとく退治したことに感謝した村民が、景政やその一族を合わせて祀った。そのため「ごろうのみや様」とも呼ばれている。
その後は武運長久の神としても知られるようになり、太平洋戦争前までは、ここで祈願した村内の出征兵は誰ひとりとして死傷することなく全員無事に帰還したといわれている。
また、景政がこの地の災害を防ぐため、山中の霊石に神霊をうつして五穀豊穣を祈願したと伝わることから御霊櫃峠とのつながりも深く、明治時代頃からは毎年6月に関係者が峠付近の風神社、雨神社に参詣する伝統行事が行われている。
ウィキペディア より。

参道入口

神額

二の鳥居

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和9年(1934)8月建立)

参道

境内

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(昭和4年(1929)10月2日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋


石祠

忠魂碑

御神木