郡山市逢瀬町河内堂内39 (令和6年4月29日)
東経140度15分53.87秒、北緯37度25分03.25秒に鎮座。![]()
この神社は、東北自動車道・郡山中央ICの北西4km程の辺り、堂内の街外れに鎮座しております。
御祭神 猿田彦大神・天照大御神・月読命
由緒
社伝によれば、昔、神様が菅の船で西の湖を渡り、山を降って河内の地に至り、当時災害に苦しめられていた人々を救ったと伝わっております。さらには当時発見された瑞玉をこの神様に捧げ御神体とし、安積山の麓である現在の鎮座地にお祭りし、寛平元年(889)に猿田彦大神をお祭りして御神号を「河内明神」と付けられました。
享保7年(1722)、二本松藩主丹羽秀延公の時代、江戸屋敷「矢の蔵」の護衛の任にあたっている時、江戸の大火に遭遇したが、河内明神の神護により事なきを得たところから、以来丹羽家御信仰が益々篤くなり、様々な御神宝が御寄進されたと伝えられております。
天明3年(1783)6月、天照大御神、月読命の二柱の神を相殿勧請し社号を「菅船神社」と付けられました。寛政6年(1794)2月には神祇官領より正一位菅船神社の位を賜り、また明治5年(1872)8月5日には郷社に列格されました。
菅船神社は「河内の明神様」の愛称で親しまれ、地元はもとより遠方の崇敬者からも篤く信仰されています。
境内由緒書き より。
参道入口
入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
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(昭和11年(1936)10月建立)
二の鳥居
御水屋と手水舎
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参道
神門
拝殿
拝殿内部
本殿覆屋
末社鳥居
末社社殿
鏡石社
石祠
神楽殿