日枝神社

福島市宮代屋敷畑(平成19年8月25日)

 この神社はJR東福島駅の北東約1.1km、155号線に面して鎮座しています。比較的大きな社地を持つ神社で、境内には、日本で最大規模の一揆といわれる「寛延の大一揆」の集会所となったという顕彰碑や文字摺石、足尾神社の大きな藁草履など珍しいものがあります。

 御祭神:大山咋神、大己貴命、少彦名神
例祭日:5月1日、秋季大祭・11月23日
 境内社・末社:足尾神社、青麻神社、宮代稲荷社、松尾神祠、織姫神祠、疱瘡神祠、産宮神祠
由緒:旧餘固?郷25村の総鎮守で、霊山、福島市下鳥渡の日枝神社とともに、信達三山王と呼ばれ農民の崇敬をうけてきました。
 社伝に依れば、永承年間(1046〜52)源頼義が奥州平定の際この地に鎮守府を設け、近江国日枝山の神を奉斎しました。康平5年(1062)源義家が社殿を築き国家鎮護を祈願したのがはじめとされます。その後も伊達氏の家臣・瀬上筑後などにより数回にわたり社宇が改築されるなど、代々の領主から崇敬を受けてきました。江戸時代、旧奥羽街道の東の深町からこの地に遷座され増したが、備中(岡山県)足守藩木下氏の飛領となっていたので、文化元年(1804)木下氏と宮代瀬上・下、飯坂三ヶ村が力を合わせ壮麗なる社殿を造営しました。けれど明治30年焼失し、同38年再建されたのが現社殿です。現町名・宮代はこの社に由来すると考えられています。
 5月の例祭は「宮代山王祭」ともいわれ、昭和31年「福島県十大祭」に選定されています。このお祭りは元文の初め頃(1736)、山王祭の笠を買って被ると悪疫にかからないといわれ、農具市で人気が集まったのが起源だといわれています。
 又、境内は、日本で最大規模の一揆といわれる「寛延の大一揆」の集会所となった所です。

社号標「郷社 日枝神社」 神社入口
昭和12年生まれの出雲丹後狛犬
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(昭和12年(1937)11月建立)
大きな拝殿 拝殿に架かる社額
本殿
拝殿内の様子

境内社・足尾神社
流石、足の神様への奉納品です、素晴らしく大きな草鞋が立てられていました。
鏡石
末社
左から、松尾神祠、織姫神祠、疱瘡神祠、産宮神祠
石碑群
太神宮、金比羅神、大国主大神、天照皇大神宮
末社・青麻神社
宮代稲荷社
「寛延の大一揆発祥の地」碑