天照(てんしょう)神明宮

伊達市保原町宮下1(平成19年8月25日)

 この神社は阿武隈急行・保原駅の北約900m、市街地の中央に鎮座しています。かつては近郷近在の三十七ヵ村の郷社であったという由緒ある社で、境内も社殿も清々しく整えられた、地域住民の崇敬を感じられる神社でした。

 御祭神:撞賢木厳之御魂天疎向津比売命(天照大神荒魂)、誉田別尊、武甕槌命
 例祭日:5月3日、7月16・17日、10月16・17日に近い土・日曜日
 境内社:妙見神社、信達稲荷神社など
 由緒:古くからの記録は、度々の火災により焼失していますが、伝承によると、昔上保原三日市に三日市次郎太夫という国学者がおり、乞われて神宮の神官となったおり、三日市と流町に内宮と外宮を、その中間に相の森を築き星の宮を遷座しました。ある年、阿武隈川、古川が氾濫し洪水となり、三日市の神殿が流されて九丁目の医者伊藤松庵宅に流れつきました。ところが不思議なことに、御神体は少しも濡れていません。村人は、その神威に感じて現在地に祀ったといいます。
 この社は保原郷草分けの鎮護の神として、古くは東裏に鎮座し、境内は百間四方もあったといいます。その頃は熊野大権現と相殿でしたが、中島の城主のとき、熊野大権現は廃社され、神明宮も十間四方に縮小されたそうです。その頃は境内に桑木が多く、拝殿で白繭の蚕をはじめて飼ったので白蚕神明宮と呼ばれていたといいます。
 現本殿は明治2年に造営され、明治42年には本殿・拝殿の屋根の葺き替えが行われました。大正8年に大鳥居が建立され、昭和44年に拝殿が本造営されました。
 御祭神の「撞賢木厳之御魂天疎向津比売命」は聞き慣れない神名ですが、天照大神の荒魂で瀬織津姫と同体であるといわれています。(風琳堂ホームページ参照)

神社入口 社号標
拝殿
本殿
境内社・一番左は妙見神社
ご神木と碑