亀岡神社

伊達市霊山町掛田(平成16年5月28日・平成19年8月25日再訪)

 この神社は掛田市街地の西に鎮座しています。平成16年に参拝した神社ですが、このたび再訪してみました。相変わらず静かな佇まいの中にも、凛とした空気の張りつめた神域を持つ素敵な神社でした。

 御祭神:誉田別命(応神天皇)
 例祭日:4月15日、10月15日に近い土・日曜日
 由緒:永観2年(984)、修験僧・舟思大僧正尊海が、豊前国(福岡県)宇佐八幡宮の分霊を奉還し祭ったのが創祇とされます。社名の由来は鎮座地の丘の形が亀の姿に似るところから付けられたようです。
 文治年中(1185〜89)、源義経が祈願に立ち寄り、佐藤継信・忠信に命じて社殿を造営したといわれ、建武2年(1335)には、南朝の忠臣懸田近江守定隆が懸田城にいた時、この社を祈願所とし社殿を奉献したといわれ、その子播磨の守定勝の代まで(應永6年・1399)この地を領し、社殿の修復等を行ったと伝えられています。
 天正(1579〜91)には、伊達氏がこの地を領しましたが崇敬篤く、仙台へ移った後もその地へ分霊を遷し奉祀したといわれます。慶長年中(1596〜1614)、松平陸奥守の家臣中島兵庫が社殿を改造しましたが、元和年中(1615〜23)、別当所の火災のため、古文書等もことごとく焼失してしまいました。享保13年(1728)から3年の歳月を費やして、本殿、拝殿、および鳥居などに至るまで改築したと伝えられます。現在の社殿は明治18年(1885)に造営されたもので、この時境内の建物(本殿、拝殿、神輿庫、額堂、馬舎、手水舎等)のほとんどが改築されました。
 春と秋2度の例祭が執行され、秋の例祭には隔年ごとに神輿渡御祭が行われ、各種の神賑行事が町内の各所で催される。(旧、亀岡神社公式HPより)

神社入口 社号標
神域に相応しい、清々しい参道の様子
  
拝殿
拝殿内の様子

本殿
境内社 境内社と末社
境内社 黄金山大神、太神宮
太神宮、養蚕神社 出羽三山、足尾大神
ご神木