松平家墓所

会津若松市東山町石山(平成16年7月18日)

 この門が入り口で、何とこの山全てが会津松平家累代の墓所という事で、門を潜り山道を登り始めましたが・・・。広い事、広い事、いっぱしのハイキング気分です。

 初代の保科正之公は土津神社に祀られているので、ここにはその後の八代のお殿様が眠っていらっしゃる筈ですが、何故か一人だけ離れて墓所が造ってありました。
 帰ってから夫が調べた所、松平家は代々神道を信じていたのですが、二代だけは仏式のお墓が残っているとの事。
 どんな時代にも、偉大な父をもつと子供は反発するのでしょうかね〜。

松平容保候の墓と墓碑、明治26年、59歳で病に倒れ東京で亡くなられたと書いてあります。他の先代の墓碑と全く同じ大きさ、形で作られています。大正6年には忠誠霊神と号され、先祖の霊が眠るこの地に永眠された。晩年不遇だと伺っていたが、いまは心安らかに過ごされているだろう。

墓の説明はこちらが詳しい

この廟所は会津若松市内から東山温泉へ行く途中左側に有ります。こんもりとした一山全山が松平家歴代の御廟所で、鬱蒼とした自然林の中での緩い登りが続きます。今まで各藩の廟所を随分見てきましたが、こんなに規模の大きい物は初めてです。