神指(こうざし)城跡

会津若松市東栄町3-46(平成16年7月18日)

慶長五年(1600)120万石を領する時の会津藩主上杉景勝は、石田三成と力を合わせて徳川家康を討とうとしたが、鶴ヶ城は山に近く守備に不利と見て、神指ヶ原に大規模な城郭を築くことを計画、家老直江兼続の指揮のもと12万人の人夫を動員し、昼夜休みなく工事を急がせた。しかし関ヶ原の戦は家康の勝利に終わったため、工事を途中で中止した。それ以後、この城は廃城となり現在にいたっている。
『神指城跡案内板』より
しかし現存の規模からはこれで家康を向かい打つ程の規模だったとは想像できない。この欅の巨木が往時を偲ばせるのみです。