豊日別宮

行橋市南泉7-13-11(平成22年4月3日)

東経130度59分31.35秒、北緯33度41分27.19秒に鎮座。

 この神社は10号線・草場橋信号から西に入り、祓川を渡り、道なりに約600mで道路右側に鎮座しています。
 一の鳥居前には玉乗り狛犬がいて、境内に入るには神橋を渡ります。参道正面に唐破風付きの大きな拝殿、入母屋造りの幣殿と、白塀の中にコンクリート・流造の本殿が縦に並んでいます。
 又、神池内には弁財天、稲荷社が祀られています。

 御祭神:豊日別命
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、4月15日・水神祭、5月5・6日・神幸祭、6月初旬・瀬祓祭、7月初旬・皆作祭、9月18日・例大祭、10月18日・秋祭、12月卯の日・大祭
 境内社:弁財天、稲荷社
 由緒:欽明天皇即位の年(532)神が老翁の姿と化して現われ、神官の大伴連神牟祢奈里に「我は猿田彦の大神なり天皇を護り臣民の繁栄と安寧、五穀豊穣、病平癒の神である」と告げた。翌日、大神は豊日別宮に降臨し「猿田彦は天照大神の分神なりこれにより豊日別大神を本宮とし猿田彦を以て別宮となす」と告げたことから社殿を建てて祀ったのが本社の起源ととされる。
 欽明天皇28年(567)には洪水飢饉などが各地を襲ったが、豊日別大神に祈願し治まったといわれ、その後代々の天皇によって大和の霊跡、西海鎮護の神として崇敬されたという。
 養老4年(720)大隅、日向の隼人が反乱したため、朝廷は大軍を派遣するとともに宇佐八幡神に祈願してこれを討伐した。しかし官軍に殺された隼人の祟りでさまざまな病や災いがあったため、宇佐八幡神は隼人の霊を鎮めるため金光明経の教えに基づいて「毎年放生せよ」と託宣した。これにより魚や鳥などを解き放って生を全うさせる仏教儀礼である放生会が行われるようになった。放生会の際に、朝廷の勅使が一旦、豊日別宮に官幣を奉安したことから官幣宮と呼ばれるようになった。
 官幣奉安の間、田川郡採銅所では宇佐神宮に奉納する神鏡を鋳造しそれを豊日別大神に併せて祭り、本社の神輿とともに陣列を組んで宇佐への神幸が行なわれた。神幸の経路は8月9日草場豊日別宮を発し、国作御所屋敷、徳政若宮を経て11日祓川で禊ぎをし、築上郡湊八幡宮、上毛郡高瀬村、宇佐郡佐野里を経て13日凶士塚に至り宇佐神宮の神幸を待つ。宇佐八幡の神輿が到着すると並んで和間の浜に向い、浮殿頓宮に宇佐八幡神に官幣と神鏡を奉る。14日後、法会と伝戒があり、15日朝、海に蜷や貝を放流する。
 宇佐神宮に対して度々行なわれる官幣の奉納に際してはその後も豊日別宮が官幣奉安の宮居となった。

 明治3年豊津藩総鎮守に、明治4年豊津県県社に、 明治6年小倉県郷社に定めらる。



参道入口に立つ一の鳥居
一の鳥居前にいる明治24年生まれの玉乗り狛犬
幼い子供が玉に乗り、得意げな顔をしているような、そんな可愛い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治24年(1891)4月祥日建立)
参道の様子
参道途中の二の鳥居
境内入口に架かる神橋
境内の様子
拝殿
拝殿目抜彫刻・龍
拝殿木鼻・象
拝殿内の様子 拝殿に架かる額
「官幣大神宮豊日別宮」
幣殿
本殿
神池内に祀られる弁財天、稲荷社
猿田彦大神 末社群