三柱神社

柳川市三橋町高畑323-1 (平成25年12月23日)

東経130度25分02.97秒、北緯33度10分01.18秒に鎮座。

この神社は、西鉄天神大牟田線・矢加部駅の南500m程の辺り、高畑公園の中に鎮座しております。と言うより境内がそのまま公園となっているようです。

補祭神 松陰霊神(初代藩主 立花宗茂公)・梅岳霊神(岳父 戸次道雪公)・瑞玉霊神(宗茂室 ァ千代姫君)
配祀  立花鑑通公(七代藩主)・立花鑑壽公(八代藩主)・立花鑑賢公(九代藩主)・青柳(道雪室)・高橋鎮種公(紹運公)

由緒
本神社は、「西国一の強者」と称され百戦錬磨の武将 初代柳川藩主 立花宗茂公、岳父 戸次道雪公、宗茂室 ァ千代姫君の三神を祀ったことから、三柱神社と名づけられる。天明三年(1783)、七代藩主 立花鑑通公が柳川城三の丸 長久寺境内に社を建立し、道雪公を奉祀したのを起源とし、文政三年(1820)坂本村日吉神社境内に遷座され、唯一の宮と称し、のち梅岳社と改称し、さらに三柱宮改称す。
文政八年(1825)九代藩主 立花鑑賢公により、現在の地(約二万坪)を境内として社殿の建設を計画し、翌九年(1826)旧8月16日に御神霊を遷座された。柳川をはじめ、地方の尊崇はもとより、その御神威御神徳は年々輝きを増すと共に武神軍神、水利・干拓・開田・郷土繁栄の守護神として、近年では御功績を以て必勝・就職・復活の社として、遠近を問わず多くの方に崇敬されている。
境内由緒書き より

三柱神社は文政9年(1826)10代藩主立花鑑賢公の創建にかかるもので、藩親立花宗茂公と婦人ァ千代姫及び岳父戸次道雪の三神を祀り、社名もこれに起因しています。神域は約62,000uの広大な高畑公園となっており、旧藩時代馬場として使用されていた長い参道には、中央に松並木、左右に吉野桜を配し、参道の北端に御影石の大鳥居、左に心字の池があり、うっそうとした楠の巨樹の億に楼門が建っています。
この社の楼門は、日光東照宮の陽明門を象どり、廻廊は安芸の厳島神社を模して建造されたと言われています。
毎年10月9日〜11日の3日間行われる三柱神社秋季大祭(おにぎえ)には、県指定無形文化財「どろつくどん」や踊り山車が繰り出され、夜遅くまで賑わいます。
境内由緒書き より

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代の武将で、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将はいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である
ウィキペディア より

参道入口に架かる欄干橋

橋の袂に立つ社号標

末社

柳川名物川下りの舟が並んでいます。

巨大な銅製、一の鳥居

神額

旧藩時代は馬場であった参道

二の鳥居

心字の池でしょうか

手水舎

参道。氏子の方々が門松等正月の準備に追われていました。

廻廊前の浪花狛犬。拡大写真はこちら。
(文政9年(1826)丙戌8月吉日建立)

放火で焼失した陽明門と廻廊があったようです。

拝殿

拝殿内部

本殿前、ブロンズの狛犬。拡大写真はこちら。
(文政9年(1826)丙戌12月建立)

本殿


護国神社

水天宮

道了神社

水天宮・戸隠神社

現在は何も無いようです。