日吉神社

柳川市大和町豊原195-4 (平成25年12月23日)

東経130度25分29.39秒、北緯33度08分44.12秒に鎮座。

この神社は、西鉄天神大牟田線・徳益駅の南西700m程の辺り、有明海沿岸道路・徳益インターを中心にした住宅地の中に鎮座しております。

御祭神 大山咋神

神社入口

神額

参道

神門

神門内の肥前狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

境内

境内入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(大正3年(1914)10月建立)

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋

万風神社

野田の日吉神社では、10月第3日曜日に、「風流・ドンキャンキャン」と「仁寿平(幣)」が奉納され、五穀豊穣と家内安全を祈る祭りが行われます。この祭りの起源は、はっきりしませんが、地元では次のように伝えられています。正徳3年(1713)、大暴風雨のため、塩塚川の堤防が決壊しました。しかし、村人たちの潮止め工事は、なかなか進みません。そこで、工事を督励していた野田の庄屋万風八十吉は、人柱に立つことを決意し、濁流に身を投げ、妻多磨子も主人のあとを追い、水の中に飛びこみました。奮起した村人たちの力で、決壊した堤防はせき止めることができました。人柱に立った庄屋夫妻の尊い霊を慰めるため、村人たちは、塩塚川河畔の久々田に小さな」祠をつくり、祭りを奉納したといわれています。現在の万風神社は、
明治44年(1911)に、久々田よりこの境内に遷されたもので、庄屋夫妻の像が祀られています。
「風流・ドンキャンキャン」は、小獅子の装束に身を固めた三人のこどもたちが、飾り太鼓をたたきながら舞い、赤鬼と青鬼も鉦に合わせて舞い踊ります。「仁寿平(幣)」は、鋏箱や毛槍をかついだ大名行列をまねた人衆夫踊りと思われます。大勢のこども毛槍隊が、「豊葦原のしるしには、三種の宝伝わりて、ハ ヨイ ありゃな こりゃな ハ どっこいせ」と歌いはやしながら、地区内を練り歩きます。
大和町教育委員会