田川市夏吉1636 (平成25年12月22日)
東経130度49分07.35秒、北緯33度39分55.73秒に鎮座。
この神社は、平成筑豊鉄道伊田線・糒駅の東1.6km程の辺り、夏吉の中に豊かに繁る杜に囲まれ静かに鎮座しております。
御祭神 仁徳天皇・応神天皇・神功皇后
地主神 神夏磯媛命
輝徳霊神 小笠原忠真公
人皇十二代景行天皇の熊襲征伐に際し天皇を周防の佐波(今の防府市)迄出迎え、九州平定に寄与されたのが我が夏吉地域開発の祖神、神夏磯姫でした。「榊の枝に八握剣、八咫鏡、八尺瓊をとりかけ、船の舳先に素幡を立てゝ参向した」と日本書紀には記されています。年代は下がって姫の後裔夏羽は朝廷に恨みを持ち、神宮皇后の暗殺を企てた妹、田油津姫を援けんと軍勢を催してかけつける途中で妹の敗戦を知り逃げ帰って館に立て篭もったところを追ってきた天皇の軍勢に焼き殺されました。(岩屋須佐社横の洞窟との説もある)それ以来夏羽焼―夏焼と此の村が呼ばれる事になったのです。後に夏羽の亡霊の祟りを鎮める為に宇佐より八幡宮が勧請されましたが(光仁年中1173〜4年前)今の大宮司屋敷から現在地に鎮座されたのは慶長13年(1608)2月3日(375年前)の事です。現在は仁徳天皇(応神天皇の若宮)を合わせ祭る為に若八幡と、となえますが、これは平清盛が香春岳鬼ヶ城の守護神として平家の氏神、仁徳天皇の神霊を京都の平野神社より香春岳の中腹に祭り、その後いかなる理由でか当社に鎮座されたのです。江戸時代小笠原藩祖忠真公巡國の折り当社に参詣され困窮のどん底にあった村民を救うため色々の施政をされると共に、不吉な夏焼の村名を夏吉と、改称されました。
村民は以後の繁栄を感謝し、公の逝去の後若八幡宮の相殿に公の神霊をお祭りして来ましたが、享和元年(1801)(182年前)朝廷に願い出て、輝徳霊神の神号と霊璽とを頂いたのです。当社の神紋が、小笠原家の家紋と同じ三階菱であるのは以上の理由によります。
境内由緒書き より
神社遠景
参道入口と一の鳥居
神額 | 社号標 |
潰れ顔の笑う狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(大正3年(1914)甲寅12月吉辰建立) |
前の狛犬より更に潰れ顔、何処まで潰すのか。拡大写真はこちら。 | |
(明治41年(1908)戊申3月建立) |
二の鳥居
境内入口の注連柱
拝殿
御祭神に菅原道真公はいらっしゃらないが、何故牛が居るのでしょうか? | |
拝殿内部
本殿
天満宮。拝殿前の牛さんは、当社の合祀時一緒に来たのでしょうか。
比叡社
稲荷社