三笠神社

大牟田市鳥塚町88 (平成30年3月25日)

東経130度27分45.14秒、北緯33度02分18.08秒に鎮座。

この神社は、西鉄天神大牟田線・新栄町駅の北東1km程の辺り、鳥塚町の街中に鎮座しております。

御祭神 高橋主膳正鎮種(入道号 高橋紹運)・室 齋藤兵部太夫鎭實の妹・男 立花直次(立花宗茂の弟 三池藩藩祖)

由緒
高橋紹運公は戦国武将にて、大友氏の一族吉弘氏より出で、高橋の名蹟を継がれ筑前岩屋城・宝満城主として主家大友宗麟に忠節を誓い筑前立花城主、戸次道雪と共に大友家を支え守り抜きました。
天正14年(1586)夏、九州制圧をかけ北上する島津軍5万の大軍を迎え討った紹運公の手勢は762名。「1日で攻め落とす」と豪語する島津氏と14日間にわたる戦国史上稀に見る激戦となりました(岩屋城の戦い)。紹運公の人柄は『高橋記』に「文武に通じ徳智謀達し、諸人に情深く忠賞も時宜に応じ私欲無く、古今稀なる名将」と記され、洵に武士の亀鑑たる御方ございました。
豊臣秀吉は「乱世に咲く華」と紹運公を称え長男立花宗茂に柳川藩を、次男立花直次に三池藩一万八千石を与えました。立花直次は武勇に優れ、文禄・慶長の役において兄を救出し、剣術に優れ、柳生宗矩の門弟となり「新陰治源流」を開祖。紹運の妻は2男4女を産み温和な優しい人柄と家中より慕われました。
7代藩主立花種周は、若年寄となり幕政に参与しましたが、文化2年(1805)奥州伊達郡下手渡村(福島県伊達市)移封となり天保6年(1835)祖先の義烈を顕彰すべく神祇伯に請いて三笠神社が創建されました。
明治維新により三池復封となり、明治3年ご東山(大牟田市今山)遷座、明治4年縣社に列せられ、明治16年例祭煙火による火事により明治29年8月現在地にご遷座。
我が国の近代産業は、ここ石炭発祥の三池稲荷村から始まることから三笠神社は郷土の発展とともに武勇の神をまつる神社として広く尊崇されています。
境内由緒書き より。

神社入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

拝殿

本殿