七夕神社

小郡市大崎1 (平成25年12月25日)

東経130度33分56.51秒、北緯33度23分09.60秒に鎮座。

この神社は、小郡市役所の南東1.5km程の辺り、稲吉の街中に鎮座しております。

御祭神 織女神

由緒
七夕神社は、正式には媛社(ひめこそ)神社といい、肥前風土記(730年頃)の中に記述があり、当時すでに大崎のこの地に神社がまつられていたことがわかります。祭神は、神社縁起に姫社神と織姫神と記されています。
また、今から千年以上前の延喜式という書物には各地から朝廷に差し出す献上品の一覧表が残っています。それによると、小郡を含む筑後の国の献上品は米と織物になっており、この地方は織物がたいへん盛んであったことがうかがえます。また、古来織物に携わってきた人々は織物の神として「棚機津女(たなはたつめ)」という機織りの女神を信仰していました。この棚機津女の信仰と中国より伝わった織姫・彦星の物語が混然同化して、織物の神をまつる棚機(七夕)神社として親しまれるようになったと思われます。
古老の話によれば、「この神社は『七夕さん』として親しまれ、八月六日の早朝から翌七日の朝におかけて、筑前、筑後、肥前一帯から技芸上達のお詣りで大崎に通じる道路は参詣者が列をました。」と語っています。
また、宝満川を挟んでこの織姫をまつる七夕神社と相対して老松神社があり、ここに、大正12年圃場整備の際に合祀された牽牛社があります。天の川と同じく南北に流れる宝満川とその両岸にまつられた織姫と牽牛(彦星)は、天上の物語を地上に配した様になっており、そこには昔の人々の信仰とロマンがかんじられます。
境内由緒書き より

七夕神社は、地元では親しみを込めて「たなばたさん」と呼ばれていますが、正式名称は「媛社(ひめこそ)神社」。その歴史は古く、8世紀頃に記された「肥前国風土記」にも登場しているほどの古社です。祭神は、媛社神(ひめこそのかみ)と織姫神(おりひめのかみ)。
織姫神は、機織りが上手な神様だったようです。古代では、神事に織物が重要な役割を担っていたことから、機織りは女性にとって神聖な仕事でした。
そんなことから織姫神は女性に信仰されていたのも当然と思われます。
そして、7世紀に中国から伝わった「牽牛・織姫」の故事と、日本の「棚織女(たなはたつめ)」信仰がひとつになって誕生したのが七夕信仰と言われています。
ところで、織姫と言えば、牽牛。実は、中国には「天の川が地表に流れてきた川」と伝えられる「漢水」という河川があります。宝満川の流れや周辺の地形が「漢水」と似ていることから、これになぞらえて、七夕神社の東側を流れる宝満川を天の川に見立て、対岸牽牛をまつる「牽牛社」がおかれていた時期がありました。
小郡市商工観光課公式サイト より

織女神 犬飼神

社号表

織姫と彦星

神社全景

神社入口

神額

拝殿前の浪花狛犬。拡大写真はこちら。
(文政5年(1822)壬午9月建立)

拝殿

本殿


末社